呻くような祈り
2018年10月17日
どのような感覚で言葉を紡ぐときに 神様が働いてくださるのかを 感覚的に掴めた ということを 昨日の日記に書きましたが この件について QTを通して 更なる深みを教えてくださいました 自分自身が神様との 一致を得られないときに 落ち込むのではなく 求める祈りをするように これは 自分自身のことだけではなく 人との関係においても同じことで 昨日の日記にも 自分のことであれば 楽なのだけど と書きましたが 人のこととなると その人自身が 心から望むかどうかがとても大きいと 思い込んでしまっていたので 神様に求めることをしていなかった ということを示されました しかしそれは逆を言うと 自分が何をどう望めばいいのか 自分が一体何を望んでいるのか わかっていないということでもあります 事実 神様から素晴らしいものを 折角頂いても その時はよくわからず 自分が何を頂いた ということを 言葉にしようとして はじめて 神様のみこころを知ることは多いです 求めなければいけないのはわかるけれど 何を求めればいいのかわからない 私の場合は そういう状態が本当に 長く続いたので 異言で祈ることしか 出来なかった時期もありましたが 今でもそういう祈りが必要なことは あるのだなぁと思いました 特に 自分個人の問題ではなく 広い範囲いにかかるような問題であると そのような祈りに促されます 悪い状況が当たり前すぎて 良いイメージが全く抱けない 過去に ロールモデルとなる人を 見つけたいと思っても どうしても そういう人に出会えなかったという 領域は正にそのような領域であり その時の祈りは 正に 呻くような祈りであると思います