傷を取り除いてもらうために
半年ほど前に、家庭用の小さな珈琲焙煎機を購入しました 元々はりゅうくんが珈琲好きで結婚する時にはそこそこ品質の良いコーヒーミルを購入していたのですが 焙煎した豆は飲み頃が大変短く生豆の方が長持ちするのでまとめ買いが出来るという意味でも焙煎機が欲しいと思って探したところ 少量ずつしか焙煎出来ないながらも日本製で、かなりリーズナブルに入手出来るものを発見したのでした 生豆は近所では手に入らないのでネットで購入していますが様々な産地、様々な種類の豆を少しずつ購入して試しています 好みの味や、好みの焙煎具合を見つけることも楽しみの1つです また、生豆は焙煎した豆を買うのと違って欠けていたり、虫が食っていたり発育が悪い豆なども混ざっています それらを一粒ずつ目視で確認して状態が悪い豆は弾くのですがこの作業が最初、結構なストレスでした というのが、折角育ったのに欠けがあるからだとか虫に食われてしまったからだとかで捨てなければいけないことが心苦しく感じたのです 勿体ないという気持ちもありましたが傷や欠けがあるから捨てるということが自分の内にある何かに触れたのだと思います ですが、欠けた豆や虫食いの豆は珈琲の味を損ないます 自分自身も美味しいものを飲みたいしまして、人に飲んでもらうことを考えたら味を落とすものは弾かなければ とはじめのうちは自分に言い聞かせながら作業をしていました しかし、半年ほどそれを続けるうちに悪い豆を弾くことに対して特に何も思わなくなっていることに気が付きました 悪いところを取り去ることが当たり前になっていたのです そしてその頃には、自分の内や他の人の内にある悪い部分に対してそれを取り去ってくださいと祈ることに対しての抵抗感もなくなっていることに気が付きました 以前は、悪いものも自分の一部という感覚が強かったのです しかし神様からは、悪いものは嘘で偽物だから手放しなさいと示されていました その示しが自分の内で本当のことだと確信を持てるようになったのです 生豆を選り分けるのはとても手間と時間がかかりますしとても贅沢な時間だと思うのですが その時間でこんな学びがあるとは思ってもおらず、むしろいつもなんとなく本当にこんなことに時間を費やしていていいのかな、という感覚もありましたが その感覚も敵の嘘だったのです 少し前 神様はご自身が創られたものが傷付いているのを見兼ねて癒やしてくださる ということを示されたことを書きましたが 傷というのは醜いものでありそれは本来のあなたではない ということを後日、強く示されました 本来のものではないから神様は取り除きたいと思ってくださっている それは感謝するべき御恩です 喜びを持ってお手入れして貰う感覚で癒やしを受け取ろうと思います❤