新たな祈り
今日はカホンの祭典 ハコフェスの当日です 朝に姉妹と一緒に礼拝動画を見て 最近の証などをシェアしあった後に 会場近くまで送り届けると 私とりゅうくんは 夕方の開演時間までフリーでした 私が姉妹を送る間にりゅうくんが かなり家事を片付けてくれていたので 残りを一緒に片付けてから QTをすると 神様は ご自分の栄光のためだけではなく 神様が愛するものに特別に憐れみを 注がれる ということを強く示されました それによって自分の中に 神様は ご自身の素晴らしさを知らしめるために 奇跡を起こされると思っているところが あることに気が付きました しかし神様は ご自身を誇示したいから 奇跡を現されるわけではなく ただ愛と憐れみを注いでくださるのです その思い違いがあったから 私は クリスチャンになってから 人に証を することが出来ないような憐れみを 注がれることが多かったのか と思い 神様は本当に愛なる方であり どんなにか私のことを愛して くださっているのかと感謝をしました 夕方になり いよいよハコフェス本番です カホンというのは 中に仕掛けがある 四角い木箱の上に座って叩く木の楽器ですが オープニングでは 13人ものカホン奏者が 一糸乱れることなくカホンを演奏し 練習が大変そうだったのはこれの為かと 納得の 大変迫力のあるものでした 13人もの人が 同じリズムを全くぶれずに 演奏するという 一致の素晴らしさに まず物凄く感動をしました その後のプログラムも ゲストの歌手含めて 人を飽きさせない構成でしたし 何より 歌手も含めて奏者全員が本気で 楽しんでいる素晴らしいライブでした ですが 歌手の歌う歌詞というのは 大変「この世」の若者らしい内容で 軽薄な社会に対する怒りや 何とか自分らしく生きようともがく姿 そして 寂しさを愛以外のもので 埋めることへの絶望のようなものを とても感じる内容のものが殆んどでした 元々あまりテレビも見ず 自分が気に入った ミュージシャンの音楽しか聞かない方で クリスチャンになってからはヒルソングや 賛美歌以外全く聞かなくなりましたが 神様を知らずにもがき苦しみながら 生きているものの声 というのを 今までと全く違う立ち位置で聞いた時に 2つの意味で 涙が溢れました ひとつは 私は若い頃に本当に 絶望で殺されてしまい この様に 自分の苦しみや怒りを声に出すことすら 諦めてしまっていた ということに対する涙 そしてもうひとつは この人たちには 神様がいない ということに対する涙でした 確かに好きなことを目一杯楽しんで 生き生きとしているのに 命がない その事を もの凄く強く感じ 本物の救いを見ることが出来るよう 心から祈りました またイベントの中盤では カホンを 作るメーカーさんのこだわりと 障害を持つ子どもがリハビリは嫌がるが 音楽が好きで カホンを叩くことは 喜んでやってくれるという姿を見て カホンの可能を広げたいと 施設に カホンを持って行っているというお話があり ライブの最後には 実際に施設に 持っていっているという 膝に乗る 小さなカホンが配られみんなで叩きました その後 大きなカホンもみんなで叩き とても楽しい時間であったと共に 実は私は 音楽を取るか絵を取るかの 選択をした過去があったのですが 音楽の賜物はなかったから 絵を選んで正解だったな と思いました フェスが終わってからは 家で 食事をしてから日帰り温泉に行き 小雨が降る中でしたが一部屋根もある 露天風呂でゆっくりと疲れを癒しました 全てに感謝をして 地域のためにも カホンのためにも祈りました