人の思いを変える祈り
今日は とてもがっかりすることがありました しかし そこには神様からの 示しが確かにありました もし 最初からきっとこうなるから 傷付かないように覚悟しておこう と 自分を守っていれば傷付きません それは 人を傷つけないための 予測行動とも似ていると思います 例えば 車を運転していれば 学校近くの小道から子どもが 飛び出してくるかもしれないと 警戒しなければいけませんし お年寄りが自転車でふらふらしていたら 倒れたり 突然道路を横断するかもしれないと 警戒するのは当然です そして そういうことが起きたときに 相手を責めたり罵ったりするかと言えば そうでもなく そういう人たちを守ることが 社会のルールだという自覚の上でいるので もしそんなことが起きたとしても 相手を助けたり 危ないから気を付けてね と 注意をするのが まともな大人の対応です 人に期待をしてはいけないのです ですが神様により そのようなことが 起きないように祈ることは出来ますし その祈りこそが私たちの仕事です そして世の中には 自分にとっては当たり前のことも 人にとって当たり前でないことも たくさんあります 今も まともな大人の対応とは こういうものだと書きましたが 全員が出来ているとは思わないし 私だって 突然の出来事に対して びっくりして怒ることはあります しかし 世の中全体が聖霊さまにより そのような方向に変わっていきますように と 祈ることなら出来るのです 事実 電車の中などで目の前に 人の欠点を悪く言う人がいる時 神様に この人に触れてくださいと祈れば 話題はいつの間にか その人の長所や 弱さを労る話にすり変わることを 何度も見てきました しかしもし 目の前にいる人に対して こんな人の悪口を言って 嫌な人だなどと 裁く気持ちを持ってこちらまで怒るとしたら 背後の霊にやられているのかもしれません 背後の霊を縛り上げる祈りをしてから 神様に触れてくださいと祈る そこには霊の戦いがありますが その戦いは自分の中で起きているのです りゅうくんが 今日 私がとても凹んでいるときに 神様を感じるから大丈夫 と言って この聖句を示してくれました ヘブル人への手紙 12:4-6 あなたがたは、罪と取り組んで戦う時、 まだ血を流すほどの抵抗をしたことがない。 また子たちに対するように、あなたがたに 語られたこの勧めの言葉を忘れている、 「わたしの子よ、主の訓練を軽んじてはいけない。 主に責められるとき、弱り果ててはならない。 主は愛する者を訓練し、受けいれるすべての子を、 むち打たれるのである」。