神様に頂く冠
新年早々 いくつかのアイデアと祈りの課題が示されつつも 着手する時間は与えられず 時が来るまで我慢 ということを体験で学ばされているなぁと感じました 人のやり方を打ち壊される神 日本に対して重荷のある外国人の牧師さんが教えてくださったことなのですが 神様は 日本人には特に時間を与えない傾向があるそうで 予定通りに事を進めたい国民性である日本人にとってはきっと辛いだろうな可哀そうだ と思ったそうですが それに対して神様は 日本人は仕事や計画をしっかりするから時間を与えると自分たちの計画を立ててしまう と 仰ったそうです 要するに 神様のやり方で進めて神様の栄光を現すためには日本人には時間を与えない と 神様が仰っているのです 人の計画を壊すということを聞くとバベルの塔(創世記11章参照)を思い出しますが 事実 うちの教会の牧師さんも礼拝メッセージを考える時に 神様に 何を話すべきですか?と尋ねながら資料を作るとあっという間に簡単にメッセージが出来てしまいますがとても良い礼拝になるのだそうです しかし 今週は時間があるからと資料や聖書を調べて「力作」を作ると礼拝の直前に 神様から「違う」と言われ一から作り直しになるのだそうです 神様は こと神様のためにする事柄には人の努力に栄光を現すことをさせません 必ず ご自身の栄光を現されるのです 「捧げる思いで作る」という賛美 神様の示しなしに何か行動を起こしても実を結ぶことはないと感じます そして 示しを頂くために必要なことは祈りと賛美です その中でも 砕かれた心を注ぎだす祈りや自分自身を犠牲とする賛美に対して神様は 特に心を留めてくださるように感じます 祈っても何をしても神様からの啓示が受け取れない時 自分自身の時間と労力を犠牲にして神様に捧げる思いで何かを作ることは神様の御心に叶ったことだと思うのです そうやって作るものは 確かに神様への賛美です しかし自分の賛美が素晴らしいものだと思って自画自賛を始めてしまったらどうでしょう 自分の賛美が素晴らしいと陶酔してしまった大天使は 天から落とされ悪魔となりました 賛美をすることは大変素晴らしいことですがそこに陶酔することを神様はお許しになりません 神様が下さる冠 では 神様はどうされるのか もし陶酔しているのであればその心をまず打ち砕かれます 自分自身の思いを吐き出したものを神様の作品として頂くために手放すなら祈りの中でその作品を練り直してくださいます その時 思いは完全に砕かれますがマイナスをプラスにされる神様を信じて全てを委ねるなら 何倍にも素晴らしいものに造り替え 栄光を現してくださるのです その「造り替えて頂く過程」こそが神様と共に何かを生み出す時で神様に用いられている時です 自分が手を動かすことにより神様の栄光が現れるならそれに勝る栄誉はありません 私たちの仕事は 自己満足を得ることではなく神様に働いて頂くことでありその為の良い通り管であることが私たちの冠で その冠は イエスさまが下さいます 私たちの足を洗ってくださり良い通り管として下さるのは他でもない イエスさまなのです 頂いた冠を 神様にお返し出来ることに勝る喜びはないのです