過去を取り返してくださる神
今日は 私の人生にある神様の御心について書いてみます 大変個人的な話ではありますが(苦笑 このお話の本質的なテーマは「子どもらしくあれ」ということです 全く向き合えていないですがゴールがそこであることは理解しています 私とりゅうくんはネットゲームで知り合いました ですが ネットゲームをすることに対して私は大変な抵抗がありました 当時 私は自分のパソコンでお客様の個人情報を扱っていたのですが ネットゲームというのは「ウイルスを常駐させるようなもの」と言っても過言ではないほどにセキュリティホールになりやすいのです ですが 神様からネットゲームをするように促されているということを人に話したときに 「自分が遊びたいだけなんじゃないの?」 と言われて 大変カチンと来ました 私はやりたくないのに示されてるけどどうすればいいのだろう と相談しているのに 自分がやりたいだけなのを神様のせいにしているんじゃないの?と言われたからです そして同時に こういうことは人に相談するもんじゃないんだな とも思いました 個人的な示しというのは 人にはわからないものなのだと感じました それはそれ 矢張り何度否定をしようとしてもやるように促されていることを否定出来ない これはもう自分が折れるしかないと思い諦めてゲームを始めたのです が そのゲームの中で 数々の未解決の人間関係と向き合うことになり 最終的にはりゅうくんと出会うことになります 御心だったことは間違えないわけですが しかしだからと言ってゲームをすることに対する抵抗が無くなったわけではありません 私のゲーム好き 機械好き パソコン好きは物心ついた時からのもので境遇も大変恵まれていました み恵みであったと言っていいと思います 機械音痴だった両親が持て余していた音響装置を3歳ぐらいから操作していたし 小学生の時(今から30年前です)には市が無料でPCプログラミング教室を開いていました ゲームは 喫茶店のインベーダーゲームから始まり中学生になり絵の道へ行くことを決めてからもインターネットをするようになってからも人間関係においてはゲームが私の人生の中心でした ですが 自分にとってゲームというのは敵視する対象でもあったのです その原因は 小学校三年生の時に父と母の両方が緊急入院をしてしまい家に大人が誰もいなくなってしまったときの経験です 家に誰もいない状態になった時に遠方に住んでいて忙しかった祖父からゲーム機が一台送られてきました 家に大人がいないというのは大変恐ろしい経験でした ですが 与えられたのはそのゲーム機一台のみです 勿論 私はゲームをすることに没頭しましたがそれは 恐怖感から逃れるために他ならず 自分にとって楽しみだったはずのゲームが苦いものとして置き換えられてしまったのです その後ずっと 自分はゲームに逃げているのではないか という思いが付きまとうようになり純粋にゲームを楽しめなくなってしまいました そして 私が神様からネットゲームをするように促された時期というのは 夜中に一人で家で留守番をしなければならない時期でした 子どもの頃の状況と 似ていたのです 正直言うと ネットゲームを始めたことでネット経由とは言え人と繋がっていられたことはかなり私の不安を緩和してくれました ですが 安心してしまうからこそ依存しているのではないかという思いがとても強くありました しかし神様は 失ったものを取り返してくださる方なのです りゅうくんに言わせると私はゲームに関して あまりにも祝福されているように見えるそうです 確かに私自身 ゲームをする時には神様が私を喜ばせるために前を歩いていてくださるように感じます でも それでも依存しているのではないか本当に神様なのだろうか という思いがとても強く どうやってそれを手放せばいいのか全くわからないのです ですが今日 神様はこの件に対して あなたのそれは不信仰なのではなく傷があまりにも深すぎるだけ でもあなたがどんなに拒否をしても私はあなたに恵みを注ぎ続けるよ と 示されました その時に 神様により強められることは可能だ ということを ほんの少しですが掴めたような気がしました まだこの件について自分の中で消化出来ていない問題ではありますが 神様は りゅうくんを通して私に「遊びなさい」と示されています ゲームを創るという召しを持ってりゅうくんが私のところに来た以上 ゲームを楽しまない人生はあり得ないだろうとも思っています 癒しと解放が必ずあるだろうことをただ信じていこうと思います