イエスさまだけが御心を示された
今朝 QTをしていると神様より ここ最近示されていることの 総括のようなことを示されました 何故人の感想が聖書を読む 覆いとなってしまっていたのか それは 人の体験と教えを 混ぜることの背後に 人の思いがあるためだと 示されました 教えの背景にある神様の御心を イエスさまは教えてくださいました 対してパリサイ人たちは 教えを用いて自分達の利益としました もし 教えを通して自分の思いを 満たそうとするなら それは パリサイ人たちと同じです 聖書を教える人が もし イエスさまの心ではなく 自分の思いを教えるのであれば その思いがフィルタとなり 聖書を正しく理解出来なくなる 要するに 人が邪魔して 神様の御心を知ることが 出来なくなるということです しかし神様は 聖書のこの箇所を 引用して御心を示してくださいました マタイの福音書17章24-27節 また、彼らがカペナウムに来たとき、 宮の納入金を集める人たちが、 ペテロのところに来て言った。 「あなたがたの先生は、宮の 納入金を納めないのですか。」 彼は「納めます。」と言って、 家にはいると、先にイエスのほうから こう言い出された。 「シモン。どう思いますか。 世の王たちはだれから税や貢を 取り立てますか。 自分の子どもたちからですか、 それともほかの人たちからですか。」 ペテロが「ほかの人たちからです。」 と言うと、イエスは言われた。 「では、子どもたちには その義務がないのです。 しかし、彼らにつまずきを与えないために、 湖に行って釣りをして、 最初に釣れた魚を取りなさい。 その口をあけるとスタテル一枚が 見つかるから、それを取って、わたしと あなたとの分として納めなさい。」 実は旧約聖書を読んでいると 10分の1を納めるときに このような記述があります 申命記14章24-26節 もし、道のりがあまりに遠すぎ、 持って行くことができないなら、 もし、あなたの神、主が御名を置くために 選ぶ場所が遠く離れているなら、 あなたの神、主があなたを祝福される場合、 あなたはそれを金に換え、 その金を手に結びつけ、あなたの神、 主の選ぶ場所に行きなさい。 あなたは、そこでその金をすべて あなたの望むもの、牛、羊、ぶどう酒、 強い酒、また何であれ、あなたの 願うものに換えなさい。 あなたの神、主の前で食べ、 あなたの家族とともに喜びなさい。 申命記を読んでいてあれ?と思ったのが ここだったのですが 要するに神様は 10分の1を神様と共に喜ぶために 使いなさいと言っているのです ちなみに 宮に遣えるレビ人や やもめやみなしごのためには 3年に1度 一年分の10分の1を 施すようにということと 日々の畑の収穫を全て集めきらず 少し残しておき 貧しい人たちが 拾って食べられるようにしなさいと 書かれています ここは今の世では難しいことですが 聖書の時代は人の畑に入って 満足するまで食べてもいいことに なっていたので 貧しい人が 飢えることはなかったのです その部分を何らかの形で 補う必要はあると思いますが 話が別なので話題を戻します 農作業については10分の1を このように持ってきて 「神の定めた場所で楽しみなさい」と 書いてあります 家ではなく 神の定めた場所で 楽しむことがポイントです また牛や羊などについては 初子は必ず持ってきて食べなさいと 書いてあり もし初子に 傷がついていたら それについては 神が定めた場所ではないところで それは誰が食べても良いが 必ず食べるようにと書いてあります 10分の1と初子は 神の前に食べて楽しめ というのが神様の教えであり 神殿に遣える人の食事は 罪のため 和解のための供え物と 3年に1度の10分の1なのです また3年に1度の10分の1は 遣える人だけではなく 貧しい人のためでもあるのです だからパリサイ人たちは やもめたちを食い付くした と書かれているのだとわかります きっと彼等は宮の納入金で やもめたちを養うどころか やもめたちからも納入金を 取ったのでしょうから 話を戻すと 実は 以前身体を壊して 生活が苦しかった時 教会に行く交通費もない中で なんとか10分の1を納めようと 食事も質素にして我慢しようと していた時期がありました しかしその時に神様が 教会に来なくていい 今ここで食事をしなさいと レストランに導かれたことが あったのです 当時の私は 10分の1を納められるように なりたいという思いがとても 強くあったので 砕かれたような 気持ちになりました しかし 砕かれたことにより こうしなければいけないという 思いを捨てて 教会に行くにしろ 献金をするにしろ 自分で決めずに 神様に従うことにしました 当時は その体験によって 神様は ルールを守ることよりも 御声に従うことを喜ばれると いうことを学んだのですが しかし この体験により 教会の教えとずれることに 孤独感を感じてしまいました 他にも 神様の声に 聞き従うことで教会との 距離があくような思いが 何度もありましたが しかし 事前に預言者さんから あなたたちへの霊的攻撃は この教会から切り離すことと 示されていたので 絶対に そうならないようにと祈りました 結果 その孤独感は神様が たくさんの愛と御恵みにより 杞憂であるとわからせてくださいましたが 孤独感がなくなり 心の傷が癒された今 やっと 神様はご自身の御心を 聖書から学べるように 導いてくださったのです 恵みを喜ぶにしても 神様の御心を求めてほしい それが 今神様から強く強く 示されていることで 神様を愛するものは 神様の教えも愛する 神様の教えに反発したり 反発されるんじゃないかと 心配することは 神様を信用していないからだ という神様の解き明かしを 深く心に刻み 自分の在り方を より神様に向けていきたいと思います