神様の本質
今学んでいることがすごいなぁと思うのは 多分この講師はクリスチャンじゃないのだけど教会で学ぶことと同じことを教えていること と いうより 以前も何人かの本を読んでいたら 自分が理想とする生き方をしている人のところにインタビューしに行きまくった結果 共通点としてこういうことがわかった! みたいなことを言っている人って例に漏れず 聖書で学ぶことを言っているんだよね この講師も同じことを言っているので本質は一緒 要するに この世界を造られた神様のご性質こそがこの世界の真理 と いうこと 聖書を学んでからこれらを学ぶことはとても有意義でした 不足分は聖書で補えるしここにある神様のみこころやご計画についても理解できたから というのは 以前だったら それはわかるけどでもこの部分はちょっとなぁ と 思うところがあったのです 例えば イザヤ書の有名な聖句 イザヤ書43章4節aわたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。 これは いいのです問題はその続き イザヤ書43章4節bだからわたしは人をあなたの代わりにし、国民をあなたのいのちの代わりにするのだ。 これを読んで 私は誰かの犠牲があるならそんな恵みはいりません~ と 神様にかなーり抵抗していたのです どうして抵抗するかと言えば 勿論 心当たり…誰かが私の犠牲になることを感じたことがありそれがものすごーい苦い思い出になっているからです 確かにその人が「悪い」のです悪いことをしたのはその人です でも 悪いからってその人を犠牲にして自分が恵みを受けるというのは~ と 思っていた でも それだからこそ なのでしょうけどあなたの恵みは分取り物である と 去年~今年にかけてのカウントダウン礼拝の時に神様は示されたのです 分取り物 というのは 例えばモーセの時代にエジプトの奴隷となっていたイスラエル人が エジプトを出るとき 出エジプト記12章35-36節イスラエル人はモーセのことばどおりに行ない、エジプトから銀の飾り、金の飾り、それに着物を求めた。主はエジプトがこの民に好意を持つようにされたので、エジプトは彼らの願いを聞き入れた。こうして、彼らはエジプトからはぎ取った。 普通に考えて 今まで奴隷としていた人たちが 仕事を捨てて出ていくのに贈り物をして送り出すことはない と 思うのですけど 神様はそうされた 他にも 敵を打ったときの分取り物とか色々ありますけど とにかく 私はこれが嫌だったのです どう嫌だったかというのは詳細には書きませんけど 平たく言うなら 自分が理想としない人から何かを受けとるのはどんなものであっても嫌 という潔癖なところがあるのです でも 神様は ご自身の全てを私に体験させようとしている 具体的に言えば 受け入れざるを得ない状況に追い込まれるわけです 恐らく それを喜べるときまで 実は今 まだ自分の中でこれらの分取り物はいつか稼げたら返却しようと思っています この思いを捨てない限り経済の回復がないんじゃないかと心のどこかで思いつつも しかし神様 私はこれ本当に嫌です本当に返したいんですお願いします と 祈ってました 最近は妥協をして 神様からの恵みとして受け取るからその人にお返しが出来るように に変えつつありますが とにかく 私はクリスチャンになってからずーっと この面で神様と格闘をしている 私は 私と神様との関係を誰よりもよくわかっています なのに あれをしないからだこれをしないからだとあれこれ 的はずれな横やりを入れる人がいて大変不愉快なのですが 本当のことを言うなら お返しをするよりももっと素晴らしいこと が 多分あるのです どちらかというとそれを求めないといけないのです それというのは 自分が違う場所に行かなければならないと いうことなんですよねぇ 最終的に言うと 私はそれが嫌だったわけです その理由も神様は全てご存知で私の癒しというのは嫌である理由の癒しだった 幼い頃から それこそ5歳にも満たないうちから周囲の大人たちに大人としての立ち回りを求められ なんで私は子どもなのに全部押し付けるの!なんで守ってくれないの!なんで子どもらしく生きさせてくれないの! それが 私の怒りの根っこであり それは なんとなくわかっていたけどもう実際に大人になっちゃったし むしろ巻き取ることを本気で考える方がいいのかなぁ という間違えた方向に行ってしまうわけです 間違えた方向だと言い切れる理由は私には私に与えられた領域がきちんと別にあることをはっきり神様から示されているからですが とにかくその 不当に抱え持たされたものを返すべき場所にきちんと押し戻す それが 神様が私に用意されたシナリオだったわけです 受け入れて やってあげる方がぶっちゃけ早いし楽なのだけど しかし神様は がんばれ!押し返せ!と後押しされました えー と 思ったけど それは 怒ることも自分の命を生きることも諦めてしまっていた私が その古い生き方から断ち切るために必要なことだったのでしょう けど 怒りを原動力にするのは嫌ですー喜びを原動力に生きたいのですー と いうのが私の願いでした 涙 ともあれ 古いことは終わったので神様のみこころの通りに意識を変えて頂けますように 素直に喜べることがたくさん降り注ぎますように