神様の情熱
今日は4か月ぶりに教会のお手伝いをしましたが 4か月離れていたことで見えたことや自分の中で変化していたことがたくさんありました 中でも一番の変化は 「妥協しなくなっていた」ことでした 今でも決して得意ではないのですが 「その流れのままで行ったらこういう結果になる」ということが見えている中で 人々が一致して流されて行きそうになるのを見た時に いやそれまずいんじゃない? と 言うことが 本っ当 に苦手で 何故きちんと言わないの と先輩などからよく注意されたりもしたのですが どうしてもそのハードルを越えようと思うことが出来ませんでした ですがこの4か月というのはりゅうくんに対する神様のご計画を本人に伝える日々だったのです きちんと伝えないと私もひっくるめての結婚生活が破たんすることになりますし(苦笑 何度も何度も神様から「教える責任」というものを示されていたので教えないわけにもいかない でも 本当に言うのが嫌で 嫌なものだから りゅうくんに対する怒りも伴うしそこは忍耐したとしても 言った後に泣いてしまうこともありました 特に 怒ってしまう時は罪責感も伴い結構凹んでいましたが そういうことを何度も繰り返す中 神様も一緒に 泣いたり怒ったりしてくださっていることをりゅうくんに示されたのです りゅうくんから すみこが怒ってくれたこと 昼間神様からも全く同じように怒られた 神様も泣いてたすみこは神様のしてくださったことを忠実に実体で見せてくれている そういったことを幾度となく教えられるうちに この経験は 神様の御心を知るためなんだ ということに気が付きました そして今日 久々に奉仕の現場に行った時にこれは妥協しちゃまずいだろうということを比較的さらっと伝えることが出来ました (ちょっと苦い顔をしてたかもですけど そこはお察しくださいということで^^; 出来るようになったとは言え慣れたわけじゃないので後になって 多少頭を抱えたのですが 矢張り りゅうくんが神様から私の心をほぐすための思いを伝えてくださいました それは すみこは 本当に私の情熱をきちんと受け取ってくれるりゅうもすみこを見習って私の情熱を受けなさい 独り善がりな熱ではなく父の心を本当に恋い焦がれる内から突き動かされるような情熱を私から受けなさい 同じ目線に立ちなさい 子どもが私のところに来た時に立ったまま頭を撫でるようなことをするだろうか 一人ひとりに同じ目線に立ち愛を伝えはしないだろうか というものでした また このような例え話もしてくれました 旅人が馬と共に旅をしていて馬が疲れている様子を見せた時 近くに川があるにはあるが馬ではその岸辺に登ることが出来ない時 それでも尻を叩いて自分で登って行き水を飲めと言うだろうか 旅人は バケツで水を汲んできて馬に飲ませてやるだろう 動物であるからといって共に旅する馬に愛を注がないことはない ましてや人に対してはどうだろうか そして すみこをほぐしなさい~ということでやっぱりマッサージになったのですがw りゅうくんが私の左足をマッサージする時に神様が私の右足をマッサージしてくださっていたそうです そのことが りゅうくんにとっては本当に物凄く嬉しかったようで すごいハイテンションで念入りにマッサージをしてもらってしまいました 私が神様の情熱をきちんと受け取っているということについて 自分ではよくわかりませんが でも そう言ってもらえるということはそうなんだろうなぁと思うことにしました また とにかく 神様からもりゅうくんからも物凄い愛されていることはよくわかりましたので 本当に 心から感謝をしました♡