イエスさまを土台に生きる
昨日の癒し(夢での癒し)の後 ずっと とても暖かいものに包まれているような幸福感がありましたが 今朝 起き抜けに見た夢の中でイエスさまがその幸福感について教えてくださいました その幸福感は神様が愛を注がれた分で いつもその愛に満たされて周りにその愛を注げばよいのだということ 自分の頭で考えて人を愛するのではなく注がれた愛をただ流すだけでよくて 自分が神様に愛されたように人を愛したいと思うこと それがイエスさまを土台に生きるということ 今まで 聖書からイエスさまを学びその生き方を土台にする という感覚でいましたが そうではない という示しでした そうではなく 神様が注がれた愛を自分の真ん中に置き それを基準にして生きることなのだと ということは 神様の愛を体験しなければ体験し続けていなければイエスさまを土台に生きることは出来ない ということです 神様との親しい交わりが一番大事ってこういうことなのねぇ と思いました クリスチャンに与えられた使命は神様の臨在を運ぶことです 自分に注がれた愛をそのまま外の人に注ぐこと 勿論 その先にもっと深い訓練はあるのだけど どんなに素晴らしい素材で家を建てても砂の上であったらあっという間に崩れ去ります マタイの福音書7章24-27節だから、わたしのこれらのことばを聞いてそれを行なう者はみな、岩の上に自分の家を建てた賢い人に比べることができます。雨が降って洪水が押し寄せ、風が吹いてその家に打ちつけたが、それでも倒れませんでした。岩の上に建てられていたからです。また、わたしのこれらのことばを聞いてそれを行なわない者はみな、砂の上に自分の家を建てた愚かな人に比べることができます。雨が降って洪水が押し寄せ、風が吹いてその家に打ちつけると、倒れてしまいました。しかもそれはひどい倒れ方でした。 イエスさまの言葉の中にある愛と義と誠実さを感じることが出来るなら イエスさまが私たちのことを思って訓戒してくださっているということがわかる それが「わかる」ということが大事なんだなぁと思いました その土台の上に何を建てるのかはまた別のお話になりますけど イエスさまという愛を土台に良いものを積み上げていきたいですね コリント人への手紙第一3章12-15もし、だれかがこの土台の上に、金、銀、宝石、木、草、わらなどで建てるなら、各人の働きは明瞭になります。その日がそれを明らかにするのです。というのは、その日は火とともに現われ、この火がその力で各人の働きの真価をためすからです。もしだれかの建てた建物が残れば、その人は報いを受けます。もしだれかの建てた建物が焼ければ、その人は損害を受けますが、自分自身は、火の中をくぐるようにして助かります。