夫婦の役割
悪いものを手放すと良いものが来る↓神様は賛美に住まわれる↓賛美の雰囲気を保とうとすると良いものに留まることになる というお話です 昨日 あるタイミングで一時だけものすごい体調が悪くなり ツキノモノが原因かと思いきや(勿論それもあったのだろうけど) そのタイミングでりゅうくんが神様のみこころに合わないことについて会話をしていたことがわかった… それかー!!! 周りの人からは「スパルタ」と言われているのだけど りゅうくんが神様から目を逸らすとその瞬間に物凄い気分が悪くなるので 即座に りゅうくん今変なこと考えたでしょ!というツッコミ(しかも不機嫌)になるのです… スパルタとかいう問題以前に私にとっては死活問題なのです 尚且つそれは 私から離れてても有効なので 私にしてみたら こんなのフェアじゃない!なんで本人にじゃなくて私にダメージくるの! なんですけど でも夫を妻の上に置いたのは神様です だから神様がなんとかしてーと祈ればそれはそれで即座に聴かれるのですけど でも わかったのです りゅうくんにとっては 自分にダメージはなく私にダメージが来る方が余程ショックなので本気で悔い改めることになるし 自分が神様の方をきちんと向くことで私が喜んでいることはりゅうくんの自信になるのです そのように神様は 男と女を造られたんだなぁとしみじみ思うしかないという… 言い方を変えるなら その思考は神様からずれてるよ~というのを教える役目が私にある とも言えるわけですけど (それに 私が神様からずれればりゅうくんが教えてくれるしね) ともあれ 悔い改めがあることはとても素晴らしいことです 何故なら神様の栄光は悔い改めの後に来るから ちなみに悔い改めというのは 別に自分を悪者にすることではありません 人には自由意思があるので益にならないことに留まるのも自由ではあります 悔い改めとは 無益なものから背を向けて神様の方だけを見ます という 方向転換です それをした時に 神様は無益なものを全部引き受けて取り去ってくださり 代わりに良いもので満たしてくださいます 神様は良いもので満たしたいと思ってくださっているけど 人が無益なものを掴んでいたら良いものは入れない でも人には自由意思があるので自ら手放します と言う必要がある そこに 神様の栄光が現れるのです — そんなこともあり 昨日はりゅうくんがクリスチャンになって初めて 一緒に異言で一時間以上祈れて家の中の雰囲気が変わりました その中で 昨日の絵日記を描いたのですが 預言アートのクラスで絵を描くとき 音楽が大事と言われたので先日の聖会や 礼拝の賛美歌を流していたのです とても雰囲気が良かったので描き終わり 祈り終わったあともそのままかけたままにしておいた そして寝る直前になって りゅうくんが何かを話しはじめた のだけど 聴こうと思ってもなんだな言ってることが頭に入ってこない あれ?と思ったのだけど 賛美に耳を傾けたらすぐ理由がわかった 賛美とチューニングがずれている 折角 神の国の雰囲気になってるのだから地に引き戻さないでー と言ったら 即座に悔い改めてましたが 話を聞いてあげるよりこっちのが絶対良い! という確信が昨日はありました …自信を持ちなさい ってこういうことなんだろうなぁ と 思いましたが ともあれ 賛美とずれてる の一言で済むのは簡単で良い( ・∇・) あの手この手で もの作りを通して神様を賛美することがあなたの役目 と この1年ずっと示され続けて本人に自覚が出て来たこともありますが やっぱり賛美は素晴らしいですねー♪ 神様は 賛美の中に住んでおられ私たちが賛美をするとき神様の御座に触れることが出来ます その雰囲気を保ち続けその雰囲気を溢れさせ続けそして いつも喜んでいること 自分の生活自分の仕事自分の全てに その雰囲気を溢れさせること それが神様の栄光を現す鍵 それは 人の力だけでは難しいですが神様と一緒になら出来ること でも 選ぶのは人なのです 神様は 神様の良いもので人を満たしたい 人が思う 常識的な範囲での素晴らしいことではなく その素晴らしい非常識を与えたいと思ってくださっている それが欲しいと思う時は もう神様と一緒に居たいと願っている 求めれば 与えられる それは 決して嘘をつけない誠実で愛なる神様からの 永遠の約束です アーメン この記事に関連したおすすめの本