神様から見た私の価値
今日は りゅうくんの給料が出たので 会社帰りに家賃などを振り込むために ATMや銀行を梯子したのですが 途中で メインで使っているお財布が ないことに気がつきました 会社に忘れたかもしれないと 戻ってみたのですが 既に閉まっており 確認することができませんでした 給料の引き落としや家賃などの振り込みに 使っているカード類は別にしてあるので 今日 やるべきことに支障はありませんが メインの財布にはデビットカードなどがあり 紛失なら停止手続きをしなければなりませんし 身分証明書が入っていました 正直 お金については仮に抜かれていても 献金したと思えばいいと思えたのですが カード類を止めることの煩わしさや 身分証明書を悪用されることについては 洒落にならないな と思いました 昨日の かなり大きな霊的攻撃の直後なので まだその影響があるのだなと感じましたが 財布がなくなるといって焦るなら 神様ではなくお金に頼っていることになるな という思いが与えられたこともあり 神様に 手元にない財布を守ってくださいと 祈ると平安が与えられました 夜になり神様のみことばに触れたいと思い QTをしたのですが その時に 聖書の中から自分の願い求めるみことばを 掴みなさいと示されました 実は以前から とてつもない高いものを 神様に求めていたのですが 高過ぎて 私が貰うのは無理かなぁと思っていたのですが それに匹敵する というか私がイメージしていた そのままの形のものがイスラエルの遺跡から 出土したというニュース記事が流れてきました 私が求めていたものは国宝級か!と 自分でも呆れると同時に そんな高価なものでは気軽に所有したり 身に付けたりすることは出来ないなと 求めていたこと自体にがっかりしてしまいました しかし そうではなく 私がそれをイメージし それを欲しいと神様に願い求めたことで それが出土したという思いが与えられて 以前 教会と同じ構造の建物を 自社ビルとして欲しいとイメージした時のことが 思い出されました 私はそれが欲しいと思った時に それを建てるための土地の購入金額と 建てるための建築費を考え それだけの お金をつくるためにはどうすればいいだろう と いうことを考えましたが しかし 私は何の労苦をすることもなく 理想通りかそれ以上の建物が 教会という形で与えられた時に 神様がくださるものというのは この様な形なのか と驚き呆れると共に 自分の中にあったモチベーションや 頑張りというものを完全に打ちのめされるような 砕かれた思いになったことを思い出しました その時以来 大抵のことには驚きませんでしたが よもやこの様な形で私の思い描いていたものが 打ちのめされるとは思いもしませんでした しかし りゅうくんはそれこそが使徒の賜物でしょう? と言ってくれました 地域レベル 国レベルでの大きなビジョンを 神様から受け取って信仰でそれを掴んで 地におろすこと それこそが使徒の賜物だ そうりゅうくんは言ってくれたのです 国宝級とか歴史的価値が高過ぎるものを この世において身に付けることには 全く興味も関心も喜びもないことなので その宝物が欲しいというわけではありません ただ 私は神様が私のことをどれ程の価値で 飾ってくださるかを見たいですと願い求めていたら 本当に願い求めていた通りのものが現れて それは私の手には余るものだった ということに 色々な意味で衝撃を受けました それは 2000年前の洗礼層の下から出土した 宝石を嵌め込んだ指輪でした 2000年前 イエスさまの時代 私の価値はイエスさまの命と同価であり その様な価値の者としてあがなわれた 聖書にはその様に書かれており クリスチャンであれば誰もが知っている そのみことばが 私の中で今までとは 違う次元で身近なものとなる出来事でした