自分という人生を歩く
昨日 礼拝の後にりゅうくんが神様の大きな愛に触れる機会があり その後ずっと 神様を賛美していました 神様の情熱で りゅうくんが神様から「私の情熱を受け取りなさい」と示されていましたが 正にその情熱が注がれた瞬間でした 今までもりゅうくんが神様を見ることはありましたし 神様のみこころを示されていいなぁ いいなぁということはよくありましたが あくまでもりゅうくんが客観的に神様の姿を見ているだけでした ですが昨日は違いました 神様が注がれる愛に触れて圧倒されていたのです ところが帰宅すると いつもの「自信がないりゅうくん」に戻ってしまいました さっきまでの喜びはどこに落っことしてきたのー!という感じでしたが それには理由がありました 実は今日 彼は初めて応募する業種の面接だったのです 未経験可の案件に応募しているので履歴書や職務経歴書には希望業種について書けることが何もありません 新卒であれば 未経験は当然のことですから気にすることはありませんし 私自身 企業で人材採用の担当をしたこともありどういう人材が求められるかはよくわかっていますから自己PRの仕方などは教えておいたのですが それでも書けることがないのは不安なのはわかります が 職務経歴書を書く間ずっとうにうにしていたので 神様に頼れー!私に甘えるなー!と 突き放しておきました^^; (後で謝罪されましたがw ですが今日 実際に面接に行ってみると思ったよりも良い反応を貰えたようで帰ってくると 大変機嫌が良いどころか姿勢までしゃきっとしていました 自分の実力じゃなかった神様だった と言っていましたが 体験してやっと 大丈夫だとわかった時ここまで人は変わるものなのかとこちらが驚くほどでした 今まで りゅうくんが神様と一緒に神様から示されたことを出来るようになりますように と ずっと祈ってきましたしりゅうくんが神様に向き合わないと神様の憤りをそのままりゅうくんに伝えたりしていましたが 時が来れば それは神様の方法で為されるんだなぁ と しみじみ思いました 神様に導かれる人というのは安心して見ていることが出来ます 本人曰く 私に対する憧れがあり私が出来ることをやりたいと思っていた 理想の姿である私との違いにいちいち凹んでいたらしいのですけど りゅうくんは りゅうくんにしか出来ないことがあります それがどれほど素晴らしいものかをりゅうくんがわかりはじめたことが何より素晴らしいことだと思いました