神様のレーマに感じる愛
先日 父親との関係性の回復を体験してから 神様との関係が本当に深いところにまで 入ってくることを感じるようになりました しかしだからと言って 神様との距離感が 変わったわけではありません 神様は今までも近くにいてくださいましたが 私が神様に心を開き 神様が私の心に 侵入してくることを受け入れたという感じです 神様が秘密を見せようとしてくださると 私はびっくりして目を背けてしまっていたのですが 神様が何をもって遊べ!と仰有っていたかを 理解することが出来たので 恐れることなく 神様と向き合うことが出来るようになりました 励まされても 愛しているよと言われても 社交辞令を聞くような感覚だったのに 自分のこととして受け入れられるようになり その語りかけとは違うものの一切は 嘘であるとわかるようになりました その為か QTの語りかけを受ける度に 涙が出る思いがするようになりました 読み返してみると 今までと別段 内容や語り口調に変わったところはないのですが そこにある愛を深く感じるようになったのです その中で 神様が福音について 語ってくださったことがあり 本当に涙が出る思いだったので シェアしたいと思います まず最初の旅路はわたしの元へと帰る旅です 多くの人はそこへとまだ帰って来ていません 寄り道をしている羊 迷子になっている羊 敵に奪われている羊 様々な羊がいます 裁くことなく きちんと羊飼いの元へ導くこと それがあなたがたの役目です 導いた後のことはわたしとその羊との関係ですが わたしの元へと導くこと イエスこそが道であると教え確信を与えるに 至らせるには助けが必要です それは期間限定の役目ですが 地に命あるうちはそれはとても大切な役目ですよ そのための必要は全て与えられますし 報酬は御国にもたくさんあります 私は宣教の賜物や牧師の賜物がないので 牧師タイプの人が語るビジョンの下に 自分が入ることは全くイメージ出来ないし 大宣教命令を語られても それが自分の やるべきことという感じがしませんでした しかし 迷子の羊や寄り道をしている羊を 羊飼いの元へと導いたり 敵に捕らわれている羊を取り返して 羊飼いの元へ連れていく というのは 自分の役目であると感じます 羊飼いのお手伝いをすることが私の仕事 ということはよくわかりますし また 羊たちに対する愛を物凄く感じます 恐らく表現が違うだけで同じ事を 言っているはずなのに 全く違うので 不思議なものだなぁと思いますが もしかしたらこれこそが レーマとロゴス 生ける神の言葉と書かれた言葉の 違いなのかなぁとも思いました