問題の根にみことばを宣言する
2017年07月10日
先日のガジマ牧師のメッセージによる打ち破りにより 高揚感を伴わない解放感をとても感じています 自分を縛るものは何もないという感覚ではなく 自分を縛ろうとするものはあるけれども それとどう向き合うかも自分自身に選択がある という感覚です もし 自分を縛ろうとするものに対して 力で抵抗しようとすれば 相手と対等になってしまいます 敵の思惑は 自分の次元(レベル)へと 相手を引きずり落とすことなので 向き合ってはいけないのです イエスさまが伝道を始めた時 イエスさまの家族に対して 彼は気が狂ったと言った人がいました 家族はその言葉を聞き 心配したのか イエスさまを家に引き戻すためか イエスさまに逢いに来ました イエスさまに お母さんとご兄弟が来ていますと伝えると 天におられるわたしの父のみこころを行なう者はだれでも、 わたしの兄弟、姉妹、また母なのです。(マタイ12:50) と 仰います お母さんに向かい合って 状況説明をしようとしたり お母さんの過ちを指摘したりはせずに ただ「御国の真理」を述べるだけなのです お母さんや弟は 後にはイエスさまがやることを信じ 使徒として働かれたりするようになります 問題に向き合わない 問題を過大評価しないというのは このような姿勢です 以前も書いたと思いますが マザーテレサが反戦の集会には参加しないが 平和について語り合う集会であれば参加する と言ったことも同じことです 枝葉と向き合うことなく 根に対して みことばを宣言していくことが 敵にとって一番の打撃となるのです