イエスさまの血潮の守り
今日のお話は書くのが難し過ぎて書いては消して を繰り返していたのですが シンプルにすることにしました 今日の礼拝で聞いたある巡回牧師さんの証です (巡回牧師とは 様々な教会を転々としてメッセージをされる牧師さんです) 自宅から距離が離れた教会でメッセージをしようとしていたら 敵が夢の中に現れて 今すぐこの活動をやめろさもないと病原菌を持ったきつねをお前の自宅の家族の元へ送りつける と 言われて 冷や汗をかいて目覚め不安に襲われたそうですが しかしすぐに イエスさまの血潮で私も家族も完全に守られている!と宣言をしたらすぐに平安が戻ってきたそうですが 後で家族に電話をすると畑などもある家の敷地の外側に5匹の狐の死体があったそうで 神様が本当に守ってくださったと感謝をしたそうです この話を聞いたとき なんで敵は こんな詳細にわざわざ宣言をして攻撃してきたんだろ と 思いました だって 祈るチャンスを与えているだけだとしか思えない ということは もしかしたら神様が この牧師の家族に攻撃を加える前にきちんと手口を宣言しなければいけない と 悪魔に条件をつけたのかもしれませんね 守られている というのはこういうことだと思う 敵は 神様に守られている人に対して自由に手出しをすることが出来ません そのことは ヨブ記に記されています だから 敵は神様の守りから人を引きずり出すためにあの手この手を使う のだけど 神様の守りの中にいる限りは全てが神様の手の内にある 自分が 神様に課せられた責任を果たそうとしているなら その中で起きる悪いことについては神様に責任を帰すれば全て素晴らしいものに変えてくださる 私たちにある責任はただひとつだけです それは 「神様の基準による」正しいことをするように努めること です 神様の基準を知るためには聖書を知ることが基本ですけど 自分の基準を持っている状態で聖書を読んでも読み違えたりします だから 神様の基準を求めること自分の基準を捨てること 神様のみこころを知ることです それは 律法を守るという基本的なところから始まり 安息日は休まなければいけないという律法を守ることよりも安息日だろうと癒しをなさることをイエスさまは良いことだと示されたように イレギュラーの裏にある神様のみこころ 神様の愛を知る必要があるわけです 私たちの学びが終わらない理由は神様のみこころがあまりに広いために一生かかったって学びきれないからであり 神様の愛があまりに大きく一生かかったって体験しきれないからで 天の御国では みんなが日々神様の新しい素晴らしさを発見してはみんなで神様を賛美しているそうです 神様の栄光の光の中で生きるとはそういう生き方なのです 神様すごーいありがとう\(^o^)/ と 毎日言える人生 それが天の御国だということです 御国を来たらせたまえ御心が天にある如く地にもなさしめたまえ アーメン ハレルヤ この記事に関連したおすすめの本