神様からの示しを(神様と共に)掴む
預言セミナーの時にも言われたことですが 神様からの示しは 人がそれを信じて掴み 奪い取られないように守ることで成就します 示しと言うのは 個人的な預言も勿論ですが 聖書を読んでいて この聖句だ!と 心に飛び込んでくることもあります ですが もし一瞬はそれを掴んだとしても 失ってしまう危険性があることも 聖書にははっきりと書かれています ルカの福音書8章5-8節 「種を蒔く人が種蒔きに出かけた。 蒔いているとき、道ばたに落ちた種があった。 すると、人に踏みつけられ、空の鳥がそれを食べてしまった。 また、別の種は岩の上に落ち、生え出たが、 水分がなかったので、枯れてしまった。 また、別の種はいばらの真中に落ちた。 ところが、いばらもいっしょに生え出て、 それを押しふさいでしまった。 また、別の種は良い地に落ち、生え出て、百倍の実を結んだ。」 イエスは、これらのことを話しながら 「聞く耳のある者は聞きなさい。」と叫ばれた。 よい種を養い育てるだけの 良い心の土壌が必要であるということです また実を結ぶには 時間がかかることもあります ダビデは王になると油を注がれてから 17年もの月日を経て王になり その間 命を狙われることまでありましたが その時に築いた神との関係が 王としての人格を建て上げました ダビデは その種を養い育てるのに 十分な土壌の持ち主だという見立ての中で 王になるという約束が与えられて 約束を掴んだダビデは神と共に歩きました これは ダビデのことに限りません もし あなたに神様から示しがあったとすれば それは神様のお墨付きの示しなのです あなたと一緒にならそれを守り通せると見立てて 神様があなたを選んでくださったのです 何か 大きな約束を掴もうとする時 敵は様々な方法でそれを奪い取ろうとしますが クリスチャンにはイエスさまの勝利により 敵を黙らせ 打ち砕く権威が与えられています しかし神様は その人に合ったものを渡されます 柔らかい食べ物しか食べられない子供に かたい食べ物を与える神様ではありません 小さなものに忠実であった人に 大きなものを任される方なのです あなたに対する神の信頼があって その上で 共に歩こうと呼びかけてくださっています あなた一人では無理なことでも 神様と一緒にならそれは可能なのです