情熱を注げる道 – DIARY WITH GOD

2019.04.30

まだこの件についてはよくわかっていないので

明確に書くことは出来ないのですが

愛をもって情熱的に打ち込めるもの

(その道が祈りによって開かれていくところ)

というのが神様が用意された道なんだな

ということをここ数日感じています

振り替えってみると 神様がこの道ではないと

後々にでも明確に示されたところというのは

祈ろうが何しようが未来がないように感じました

それは 私の道がそこにはないから

未来がないと感じたのだと思いますが

逆に 神様が開かれる道というのは

思い巡らしているだけでどんどん

道が開けていきます

思い巡らす ということはある種の祈りであるそうで

神様に対してどうなのですかーと訪ね求めていれば

道がどんどん開けていくのですが

それは宝探しをしているようなイメージです

当たり前のことですが 先が知れていることに

それほど情熱をかけることは出来ませんが

これから何か新しいことを神様が

用意してくださっている と思う領域には

喜びをもって情熱を注ぐことが出来ます

神様は愛そのものですし

神様(=イエスさま)が道であるなら

その様に情熱を注いで歩めるところが

自分の道なのだなぁと思うのでした

今までは神様を追い掛けることと

自分のことが別のように感じていましたが

私が自分を受け入れてなかっただけで

神様は 余計なものを取り去り そのままの

私にしてくださったのだと 思いました

記事一覧へ戻る