イエスさまだけが御心を示された – DIARY WITH GOD

2018.08.09

今朝 QTをしていると神様より

ここ最近示されていることの

総括のようなことを示されました

何故人の感想が聖書を読む

覆いとなってしまっていたのか

それは 人の体験と教えを

混ぜることの背後に

人の思いがあるためだと

示されました

教えの背景にある神様の御心を

イエスさまは教えてくださいました

対してパリサイ人たちは

教えを用いて自分達の利益としました

もし 教えを通して自分の思いを

満たそうとするなら それは

パリサイ人たちと同じです

聖書を教える人が もし

イエスさまの心ではなく

自分の思いを教えるのであれば

その思いがフィルタとなり

聖書を正しく理解出来なくなる

要するに 人が邪魔して

神様の御心を知ることが

出来なくなるということです

しかし神様は 聖書のこの箇所を

引用して御心を示してくださいました

マタイの福音書17章24-27節

また、彼らがカペナウムに来たとき、

宮の納入金を集める人たちが、

ペテロのところに来て言った。

「あなたがたの先生は、宮の

納入金を納めないのですか。」

彼は「納めます。」と言って、

家にはいると、先にイエスのほうから

こう言い出された。

「シモン。どう思いますか。

世の王たちはだれから税や貢を

取り立てますか。

自分の子どもたちからですか、

それともほかの人たちからですか。」

ペテロが「ほかの人たちからです。」

と言うと、イエスは言われた。

「では、子どもたちには

その義務がないのです。

しかし、彼らにつまずきを与えないために、

湖に行って釣りをして、

最初に釣れた魚を取りなさい。

その口をあけるとスタテル一枚が

見つかるから、それを取って、わたしと

あなたとの分として納めなさい。」

実は旧約聖書を読んでいると

10分の1を納めるときに

このような記述があります

申命記14章24-26節

もし、道のりがあまりに遠すぎ、

持って行くことができないなら、

もし、あなたの神、主が御名を置くために

選ぶ場所が遠く離れているなら、

あなたの神、主があなたを祝福される場合、

あなたはそれを金に換え、

その金を手に結びつけ、あなたの神、

主の選ぶ場所に行きなさい。

あなたは、そこでその金をすべて

あなたの望むもの、牛、羊、ぶどう酒、

強い酒、また何であれ、あなたの

願うものに換えなさい。

あなたの神、主の前で食べ、

あなたの家族とともに喜びなさい。

申命記を読んでいてあれ?と思ったのが

ここだったのですが 要するに神様は

10分の1を神様と共に喜ぶために

使いなさいと言っているのです

ちなみに 宮に遣えるレビ人や

やもめやみなしごのためには

3年に1度 一年分の10分の1を

施すようにということと

日々の畑の収穫を全て集めきらず

少し残しておき 貧しい人たちが

拾って食べられるようにしなさいと

書かれています

ここは今の世では難しいことですが

聖書の時代は人の畑に入って

満足するまで食べてもいいことに

なっていたので 貧しい人が

飢えることはなかったのです

その部分を何らかの形で

補う必要はあると思いますが

話が別なので話題を戻します

農作業については10分の1を

このように持ってきて

「神の定めた場所で楽しみなさい」と

書いてあります

家ではなく 神の定めた場所で

楽しむことがポイントです

また牛や羊などについては

初子は必ず持ってきて食べなさいと

書いてあり もし初子に

傷がついていたら それについては

神が定めた場所ではないところで

それは誰が食べても良いが

必ず食べるようにと書いてあります

10分の1と初子は 神の前に食べて楽しめ

というのが神様の教えであり

神殿に遣える人の食事は

罪のため 和解のための供え物と

3年に1度の10分の1なのです

また3年に1度の10分の1は

遣える人だけではなく

貧しい人のためでもあるのです

だからパリサイ人たちは

やもめたちを食い付くした

と書かれているのだとわかります

きっと彼等は宮の納入金で

やもめたちを養うどころか

やもめたちからも納入金を

取ったのでしょうから

話を戻すと

実は 以前身体を壊して

生活が苦しかった時

教会に行く交通費もない中で

なんとか10分の1を納めようと

食事も質素にして我慢しようと

していた時期がありました

しかしその時に神様が

教会に来なくていい

今ここで食事をしなさいと

レストランに導かれたことが

あったのです

当時の私は 10分の1を納められるように

なりたいという思いがとても

強くあったので 砕かれたような

気持ちになりました

しかし 砕かれたことにより

こうしなければいけないという

思いを捨てて 教会に行くにしろ

献金をするにしろ 自分で決めずに

神様に従うことにしました

当時は その体験によって

神様は ルールを守ることよりも

御声に従うことを喜ばれると

いうことを学んだのですが

しかし この体験により

教会の教えとずれることに

孤独感を感じてしまいました

他にも 神様の声に

聞き従うことで教会との

距離があくような思いが

何度もありましたが

しかし 事前に預言者さんから

あなたたちへの霊的攻撃は

この教会から切り離すことと

示されていたので 絶対に

そうならないようにと祈りました

結果 その孤独感は神様が

たくさんの愛と御恵みにより

杞憂であるとわからせてくださいましたが

孤独感がなくなり

心の傷が癒された今 やっと

神様はご自身の御心を

聖書から学べるように

導いてくださったのです

恵みを喜ぶにしても

神様の御心を求めてほしい

それが 今神様から強く強く

示されていることで

神様を愛するものは

神様の教えも愛する

神様の教えに反発したり

反発されるんじゃないかと

心配することは

神様を信用していないからだ

という神様の解き明かしを

深く心に刻み 自分の在り方を

より神様に向けていきたいと思います

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