神様の喜びを求める – DIARY WITH GOD

2018.10.24

QTで受け取った神様からの掲示を

ノートに書き残そうと思い

取り敢えず10月のQTを拾ってみようと

データを拾っていたところ

1日だけQTをやり忘れていた日が

あったことに気が付きました

1日だけ というのが大変気になり

穴埋めをしようとQTをしました

今まで何度も読んだこともあるし

礼拝やセミナーなどでも何度も

引用される有名な箇所でしたが

今日は とても新鮮な思いが

神様から与えられました

人の家の屋根を壊して

友人をイエスさまの前に

連れてきた人々の話です

中風(脳溢血の後遺症)で

動くことも立つことも出来ない人を

4人の友人が担いできて

人の家の屋根に登り 屋根を剥がし

イエスさまの前に吊り下ろしました

それを見て イエスさまは

罪の赦しを宣言します

神を求める者に対して神様が

憐れみをかけてくださることを

学ぶ箇所と今までは感じていましたが

神様はここから

多くを得たものも多すぎず

少なく得たものも少なすぎなかった

ということを語られました

出エジプト記で 神様に対して呟き

肉を求めた人たちには

多くの肉が与えられると同時に

裁きも与えられました

人々が 神様を恐れて

律法を守るから神様には

モーセだけが近付いてくれと言うと

律法を破ったもの 預言者に楯突くものが

裁かれる時代がやってきました

しかしモーセは 全ての人が

聖霊に満たされてその声を聞くことを望み

それは メシアなるキリストのあがない

神様の救いとして成就しました

またイエスさまの時代

心をかたくなにしてイエスさまの

処刑を望んだ人たちは

イエスさまの死と共に

子孫にまで代々続く呪いも

望んでそれを受けました

しかし イスラエルの復興を

望む預言者たちの泣き叫ぶ祈りにより

イスラエルが神に立ち返るまでが

預言され それは今成就しつつあります

神を信じ それを望むものは

それが神様から出た望みでなくても

確かに与えられているのだと

神様は示されました

神様はいつも ご自身が人に対して

望んでいるものを人が受け取らなくても

謙遜に それを与えられており

しかしそれを得るときに

報いも一緒に受けているのだと

神様は示されました

私は 神様が私に望むことだけを

全部受け取りたいなぁと思いました

自分が望んだものが得られても

神様が一緒に喜んでいないのは

絶対に絶対に嫌だなぁと思いました

望んだものが得られるだけで

神様が喜んでいないなら

それは 滅びの時が来るときに

全部 ごみになるだろうと思うのです

肉があるうちは ごみを出さずに

生きることは不可能ですが

しかし 出来ればなるべくそれは

生きているうちに捨て切り

神様がくださるものだけで

満たされていたいなぁと思いました

そう思うとき

自分の価値観が ここ数年で

全く創り変えられたことを感じます

以前は 人が自らの望みで

悪いことをして滅びを得る時

本人が望んでいるのだから

仕方がないと思っていました

しかし今は

敵の支配から 呪いから完全に

自由になった上での選択でなければ

それが本人の選択だとは限らず

神様の救いを 神様が与えたい命を

本当の意味で知ることというのは

一人ひとりが神様と歩く過程で

勝ち得ていくものなのだろうと思います

神様のご性質を愛し

神様のみ言葉を愛する時

その守りの中に入ります

私は 自分に与えられたその領域を

かたく守り 広げる責任があり

神様は そのために必要な備えを

いつでも必ず与えて下さるので

わざわざそれを外に探しに行く必要は

ないことに感謝したいと思います

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