神様以外に救いがない理由 – DIARY WITH GOD

2018.10.11

起き抜けに とても明確な

夢を見たのですが それは

かなり不愉快な内容でした

生活のスタイルや好みが

全く噛み合わない2人が

一緒に暮らした結果 互いに

憎しみあうようになり

結果として別れを決めて

それぞれが別の道へ旅立つのですが

私は夢の中で

バスターミナルで働いていて

別々のバスに乗ろうとする

2人の別れに たまたま

立ち会っていました

また事務所には 男性が描いた

海と岩の絵が置いてありました

他の乗客がスムーズに

バスに乗り込む中で

その2人は互いを睨みつけて

なかなかバスに乗りません

男性は 何かを怒鳴っているように

見えるのですが 声が出せないのか

彼の口から音は出ておらず

何を言っているのかはわかりません

女性は 男性の何が嫌だったかを

ずっと言っているのですが

例えばそれは 男性が早朝に

家を出ていくのが嫌だとか

生活スタイルが噛み合わないことで

そこを理解しあえないなら

そもそもで最初から一緒に

住むべきではなかっただろうと

思うようなことばかりでした

事務所に戻り 男性が描いた

絵を見ていると ここには

命がないなぁと感じました

そこで私は こうすれば

命を感じるようになるのではと

波飛沫を入れてみようとしますが

描こうとする波飛沫にも

躍動感は出ず それは

死んだ絵のままでした

起きたときに

あまりにすっきりしない

内容だったので これは

私の内に溜め込んでいたゴミが

炙り出されたのだな と

思いました

そしてその思いの通りに

私の内にあった様々な

自分に対する間違えた

アイデンティティなどに

思い当たり 全てを神様に

捧げる祈りをしました

その中で 原罪 というものに

思い至ったので

私は胎に形作られた時から

人は罪人なのだと告白しようとすると

それは違う 人は胎に創られるときは

わたしのイメージ通りであり

地に産まれ出て アダムとエヴァが

誘惑された時のように あなたたちが

罪を犯すことで罪人になるのだ

と 示されました

そもそもで正しい教えのないところでは

親が間違いを教えることすらあるが

しかし それであったとしても

親に従わなければ罪となる

神がいない 教えがない環境では

人はどうあっても罪を犯すことになる

ということを示されたのです

それは 聖書にある通り

罪を犯したことのない人は

一人もいないということで

そもそもで 神様は罪に対して

はじめから 生け贄を捧げるという

あがないの手段を用意されました

罪を犯すことは避けられない

しかし 悔い改めることと

生け贄を捧げることが大切で

イエスさまがその生け贄と

なってくださったことを

受け入れたものは

永遠の生け贄と 罪を見分ける

霊が与えられるのです

肉に死に 霊によって生きる

霊を受けずして生きることは

出来ない ということです

他にも個人的なことを

たくさん示されました

私がどのように生きていたのかを

神様の目線でたくさん

教えてもらいました

親が真理を知らなければ

親に教えられた通りに

素直に生きたとしても

罪の報酬を刈り取ることになり

親が真理を教えないからと

親に反発して生きれば

例え聖書的に正しく生きても

我が子を捧げて自分の欲を満たす

神様に忌み嫌われた者となる

よく神様は ヤコブが

伯父のラバン(占いをする者)の

元にいた時の態度を示されたり

どんな暴君であっても

神が立てた権威に従うようにという

聖書箇所を思い起こさせて

くださるのですが 本当に

それが真理だ ということ

そして この世において

善く生きることは

神様の助けとあがないがなければ

本当に無理なのだ ということを

深く深く実感しました

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