神様に目を向ける(後編)
今日の神様の示しは 正に「家のビジョン」そのものでした そのことを説明するためにも先に昨日の続きから書こうと思います 前編のあらすじと続き 前編(の重要なところ)をざくっとまとめると 神様の養子として頂いた私が神様から「ここがあなたの家だよ」と示されたところは【機織りの家】で そこではイエスさまが母親のように家事や機織りをする家であることを示された ということでしたが (詳細は神様に目を向ける(前編)参照) 家族構成的に言うと 神様=お父さんイエスさま=お母さん私&聖霊さま=この家の娘(養子)りゅうくん=私の旦那さま(婿養子) となっているようでした 聖霊さまは私の背中にぴったりくっついていて姿を見ようと後ろを振り向こうとしてもさっと隠れてしまい顔を見せてくれないのですが どうやら 私とのそういうやり取りを楽しんでおられるようでしたので「私と同化してくださっている」と解釈することにしました りゅうくんの立ち位置 家の中は 木の家の中らしく統一されていて… と 思ったら何故か端の方にとても森の家の中には似つかわしくない大きな魚の置物と浮きが飾られていて思い切り吹き出してしまいました これは一体何ですか?と神様に尋ねると りゅうくんは元々は漁師の家の子だったがクリエイターになるためにこの機織りの家に嫁いできた 彼は魚を取る網は作れるけどそれ以外の制作については初心者なので私たちが彼を導くんだよ と 教えてくださいました 要するにこれらのオブジェはりゅうくんの婿入り道具であると… 色々とおかしいですが 彼らしくもあり妙に納得してしまいました 神様の創造とイエスさまの働き そのことを話すと神様はご自身が座られていた場所の右後方 壁しかなかった場所に階段を造られ2階に書斎らしき仕事部屋を造られました その部屋には 窓とテーブルとノートパソコンが1台あるだけで書斎と言いつつもまだ本はありませんでした 窓にはカーテンの代わりに透き通るような素材の浅葱色ののれんがあり金色の蝶が描かれていました(刺繍かも?) のれんが風に揺れると その蝶がのれんからふわっと飛び出しきらきらと光っていてとても綺麗でした 私は小さな子どものように工具を持った神様の背中に乗っかり お父さん 私も手伝う!と言おうと思ったのですが 神様が笑っているうちにどんどん階段や部屋が造られていき あ 手伝う余地がない と思いました 仕方がないのでイエスさまのところに行くと いつも家事や機織りを手伝ってくれてありがとうねーと頭を撫でられてしまいました どうやら今は手伝う必要がないようで自分が役立たずであるような気がしてちょっと悲しくなりました 旦那さまであるりゅうくんの姿 また りゅうくんはりゅうくんで何故かウサギの着ぐるみを着ていてものすごく大きなもこもこの手を机の上に乗せて座っていました そんなもこもこの手の着ぐるみを着ていたらモノ作りなんて細かいことできないよー と言ったのですが それはどうやら 私のために着ていたものだったようで 海の者が突然やってきたことに驚かせないように森の者に擬態していたのだそうです 神様から海から来たと教えられたし驚かないよー大丈夫だよ と言ったら 着ぐるみを脱ぎながら 自分がこのウサギのような存在だって認めるかーっと言われました なんだなんだ?と思いましたが ニュアンスは理解したので(苦笑認めることにしました すると りゅうくんが突然居なくなり戻ってきたと思ったら大きなウニを差し出してきて ちょっと古巣に戻ってきてすみのために取ってきた と言いました ああ うん やっぱりこの人は私の旦那さまだなぁと思いました(良い意味でね 霊的な立ち位置 この時 以前ある聖書の解き明かしの授業で海というのはこの世の呪いを意味するといったニュアンスのことが言われていたことを思い出し そうか 海というのは現世のことでバイトに行って働いている様子を霊的に示しているんだな と思いました では私がクリスチャンになる前は霊的にはどういう状態だったのだろう? 私を驚かせないようにと言っていたのは私が海のものに馴染みがないことを言っているのではないだろうか と思っていたら神様が あなたはこの家(木)の中にずっといてパソコンを通して(外にある)現世の仕事をしていた あなたはゲームや遊びをよく知ってる人でパソコンが得意で マーケティングもやっていた知識が大変豊富な人だよ この木を植える場所をずっと探していたがここでもない あそこでもないと彷徨ってボロボロになっていた と 教えてくださいました そうか だからどんな職場で働いても全く馴染むことが出来なかったんだなぁ と 思いました 神様による宣言の促し ですが神様は その時の経験をりゅうくんに伝えるんだよ と言って突然 りゅうくんと私と神様での3者会議がスタートしました 神様は 私たちの前に地図を広げられましたがそれはモニターのようになっていて 真っ暗な空間にある水の上を神様が歩いておられる様子が見えました 創世記1章2節地は形がなく、何もなかった。やみが大水の上にあり、神の霊が水の上を動いていた。 正にこの様子です そして神様がりゅうくんに さあ 光あれと言いなさいあなたのこれから創る世界に 光あれと そう 仰いました その言葉を聞いた時 本当に涙が出ました やっと 始まるんだ 今日からりゅうくんのクリエイターとしての歩みが始まるんだ と思いました そのビジョンを見たのは金曜日の20時半頃 現実世界では神学校の授業中だったので見たビジョンの内容をメッセンジャーでログとして残しておきました すると 20時50分過ぎ授業が終わったらしきりゅうくんから アーメン!!教会で 神さまに同じこと言われたよ と 返信が来たのです 何が?と返すと 「光あれと言いなさい」 と 返ってきました 狭くてなにもない砂漠に創り上げるのだと言っていました 同じ時に 神様から同じ言葉を受け取っていた物理的には離れていたけど霊的には同じ場所にいたんだ 私もその場に参加させてもらっていたんだと 思いました すると神様は あなたは参謀だからと仰いました その後の我が家 以上が 昨日見たビジョンの全容ですがその後にも続きがあり 神学校から帰ったりゅうくんと合流して食事に行ったのですが(昼から食べ損ねていたので…) 食事をするつもりだったお店が閉店時間を過ぎてしまっていたので たまたま目についた24h営業のファミレスにに立ち寄ったのですが そこにはなんとチーズフォンデュがあったのです イエスさまが準備していたのはこれだったんだー と思いました また この日からスタートしたりゅうくんのクリエイティブな活動というのは 目下 文章を書くことにあるようで連日りゅうくんのFacebook記事の校正を手伝っておりました(投稿時間でお察しください) りゅうくんの仕事場として出来た二階の書斎にはまだ何も本がありませんでしたが そこに本が増えていくことになるようです そして面白い?ことに 家から出た後もずーっと私の正面には「ローテーブルに着席したままの神様」がいらっしゃいましたw 自転車に乗っていても何をしていてもずーっと目の前に座っておられたので もしかして楽しんでます?と尋ねたらだって澄子が喜ぶからと笑っておられましたが どんな時でも 何をしていても神様の目線を教えてくださるので 思わずりゅうくんに神様が見えるってなんて便利…じゃなかった話が早いの!って言ってしまうほどでした また神様は 私たちが霊的に成長をすると家の増改築をされているようなのですが今日はずっと座っておられました 一度だけ この木のてっぺんに行ってみたいですーと言ったら連れて行ってくださいましたがそれ以外はずっと座っておられました ですがイエスさまは 行く先々で常に働いておられました 昨日はチーズフォンデュの用意のためかファミレスの厨房で働いておられましたし 今日は今日で 私の隣に足の悪い男性がいた時癒しの賛美を歌っておられました イエスさまってどこに行っても働かれているんだなぁ聖書にある通りに…と思いました 神様とイエスさまの立ち位置の違い イエスさまはあまりにも常にどこかしらで働いておられるので 最初は邪魔をしちゃ悪いかな…と思っていたのですが 編み物に集中出来ずにいた時イエスさまに一緒に編んでくださいー>< とSOSを出したら きちんと来てくださり 途端に全てのものが光り輝いて見えたのでとてもびっくりしました 1人で編み物をしていた時もイエスさまがいた時もずっと神様は目の前にいらっしゃって 神様の目線を常に教えてくださりそのことにはとても助けられるのですが 神様が常に目の前にいらっしゃることとイエスさまと一緒に仕事をすることは別のことなんだ ということがわかりました ふと 私は神様とだけではなくイエスさまとも常に一緒にいて常に働くべきなのかしら という思いが一瞬頭を過りました また そういえば神様がずっと目の前に座られていたということは今日は成長がなかったってことかしら とかも思ってしまいました すると神様が デボーションを通してこんなことを仰られたのです わたしはどう言うだろうか常にイエスを心の中心に置くように言うだろうかあなたは神との家族関係をとても愛しんでいるそれはわたしとて同じであるわたしはあなたを強め支えるだが イエスと常に同化していて欲しいとは言っていない外に出ていくとき仕事をするとき人に福音を伝える時それは必要だだが それよりも家族関係の回復が先なのだよそれは土台だから 神様をお父さんと呼びイエスさまをお母さんと呼び助けて欲しい時に助けてと言える イエスさまのような母親なんて 勿論見たことも聞いたこともありませんが 神様から来る理想の母親像を見せて頂いているんだなぁと感じていて その母親を見て育つこと母親に甘えて生きること それが神様が今私に求めていることなのだとわかりました 確かに私は子どもとしての人生を殆ど歩けていませんからね ですが もし私が子どもを産んだとしても私はずっと この神様の家の子どもです それは永遠に変わることがありません そのことは とても幸せなことだなと思います