私が人に渡すもの – DIARY WITH GOD

2018.11.21

昨日 違和感を感じた事柄に対して

りゅうくんに 祈ってみてくれる?

神様が何かを示してくれたら教えて と

お願いをしたのですが

即座に神様がりゅうくんを通して

答えてくださいました

3つの汚れた霊について示されたのですが

自分の中に それらの霊にやられた人に対する

嫌悪感や怒りを過去にずっと持っていたことが

思い起こされたので それを手放す祈りをしました

それぞれを具体的には言い現わしませんが

平たく言えばこの世の力そのものです

神様に頼ることよりも お金や地位名誉を

頼りにする人というのが どれほど虚しいかは

聖書を見ればわかります

終わりの時にそれらは全て無に帰るので

人々は落胆し 歯噛みするのです

この世の終わりの時でないにしろ

この地での命が尽きる時に

お金は誰に渡されるかということについて

聖書の中にある 伝道者の書では

示唆的なことが書いてあります

平たく言えば 労苦しないもの

管理者として相応しくない者の手に

財産が渡ることは虚しい というニュアンスです

聖書の中ではこんな記述もありました

神を恐れ 下のものをよく顧みて

人々の良い暮らしを守る王が立てば

人々は神を賛美し 王を大切にしました

ですが己の欲のまま 思うままに

人々を虐げた王は 街の外に捨てられました

仮に 史実においては外交上手で

周辺諸国との貿易で栄えた時においても

その栄えというのは表面的なもので

恐らく下々の 苦しむ人々にとっては

苦しい時であったのでしょう

神様はそのような王を喜ばず祝福もされません

多くを得て 多くを養うよき管理者を

神様は喜ばれます

りゅうくんは 祈りの後に

人々が見向くことのない乏しい人に

私が何かを渡すビジョンを見たそうです

それを聞いた時 この聖句が思い起こされました

使徒の働き3章6節

金銀は私にはない。しかし、私にあるものを上げよう。

ナザレのイエス・キリストの名によって、歩きなさい。

以前 本当に私に何もなかった時 神様に

私は人に何かをあげるのが大好きです

与える賜物をどうか用いてください

与えたくても与えるものがないのです

と お祈りをしたことがあります

この話は以前日記に書きましたが

私の目の前で落とし物や忘れ物をする人が

続出してしまい 当然ながら私は慌てて

それを拾って持ち主に渡すのですが

その時には 宮の献金のために釣りをすると

魚が銀貨をくわえていた という聖句を

思い出しました

目の前でこうも落とし物や忘れ物を

されてしまうのも困るので

神様が私の願いも賜物もよくご存じであり

原資はいつでも準備できることはよくわかったので

人が物を落としたり忘れたりしませんように

と 祈るとその現象は止まりました

でも その時に思いましたが

私が本当に人にあげたいのは物ではく

使徒の働きでペテロとヨハネがしたように

イエスさまを分け与えることをしたいのです

それで思い出したのですが

少し前に 預言的に5つのパンと2匹の魚の

ポストカードを貰ったことがあります

その時りゅうくんが あなたに与えた知恵は

分けるとパンのように増えるという

神様のレーマを受け取ってくれました

最近 私に与えられた知恵知識が人の手に渡り

その人の手の中でそれが増え広がり

大きなみ恵みになるという印象の出来事が

いくつか起きているのですが

もしかしたら 今が そのレーマの

成就の時なのかもしれません

私が自分では何も持っておらず

そこに神様の栄光が現れることに感謝します

私が人に渡すものが

神様そのものでありますように

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