言葉の問題に光を当てる – DIARY WITH GOD
2020.07.07
少し遅くなりましたが週報です
今週末は 母から強く勧められて
みなかみに行って来ました
正直言うと 物凄く忙しい時期で
かなり乗り気ではなかったのですが
神様から 遊べ とずっと言われているし
遊ぶことより仕事だと思うことが
間違えなく神様から来ていないと
わかっていたので行きました
途中 もしかしたら行けなくなるかも
というような出来事が起きましたが
ふたを開けてみるとただの杞憂で
神様の方法でそれは回避されました
私の問題というのは自分の感覚「主観」です
「乗り気ではない」のが先に来て
そしてその「乗り気ではない」ことに
対する誘惑が起きるのです
乗り気ではないから 邪魔が入ると
その邪魔に乗っかって無かったことに
してしまおうという誘惑が来るのです
しかし幸い?なことに 私は
神様の約束を見分ける霊があり
自分の感覚が神様とずれていることを
よく理解しています
なので 超自然的に全ての道が整い
神様のご計画は実現します
私は自分の感覚を管理する責任があり
その責任を聖霊さまにより
果たす必要があります
必要な賜物は全て神様から与えられています
ですから この感覚のずれから来る
体調不良を神様が癒す「責任」はありません
もう十分に必要は与えられているからです
神様には責任はないので こちらから
お願いをしなければならないのです
現れる現象は 例えばストレスによる腹痛などで
それは神様が望まない体調不良です
私も望んでいないし神様も望んでいません
ですが それを邪魔しているものが
間違えなく私の中にあるのです
それは例えば 幼い頃に
親の間違えた反応により
作ってしまった自分を守るための
余計な人格であったりするのです
余計な人格を持って外に行けば
人から傷つけられますし
余計な人格で自分を見れば
自分を愛せません
私の場合は 私がすることを
父が何でも皮肉を言ったり
否定をしたりすることがありました
しかしそれは 父自身が親から
全てを否定されて金を稼ぐ道具として
育てられ 全てを奪われたという
人生経験から出ています
父の元で育ったので 私自身も
神様に出逢うまで 私自身のことを
ただ親のためにお金を稼ぐ道具
としての自分というアイデンティティと
そんな人生を生きるのは嫌だという
葛藤を持っていました
私と父の違いは
「そんな人生は嫌だ」と
思ったかどうかの違いです
父は 諦めていました
私は 諦めませんでした
その違いだけなのです
父は仏教に依存し その教えの通りに
与えられた範囲を上手く乗り切る道を求め
周りの人にそれを押し付けようとして
カルト扱いされてしまいました
私は見たことのない神様を求めて
自分を変えることを求めました
たくさんの神を自称するものに
たくさん傷つけられましたがその結果
神を知っているという人は
頼りにならない
自分が神様と直接つながりたいと
思わなければいけないのか
と 思った途端に 引っ張られるように
今の教会とつながったのです
神様につながるきっかけとなった
思いではありましたが
「神を知るという人は頼りにならない」
という思いが今は私の邪魔をしています
私の土台が私自身の人生を壊すのです
私の今の人格は 本当の私ではありません
3歳ぐらいまでの自分を振り替えると
もしあの時のまま大きくなっていたら
もっと人生は楽しかっただろうなと思いますが
しかし今の私はあの頃の自分が
そのまますくすくと育つことを
よしとしない思いで満ちており
それは父が私に対して発した
皮肉や否定の言葉を
自分の内に詰め込んでしまったからなのです
私の内には 私の良さを殺す言葉で
満ちており その事が私を苦しめ
私の体調不良の根となっているのです
ですから過去の私は父の家を憎んでいました
(個人ではなく家をです)
なんで神様はこんな家に私を
置かれたのかという思いが何度も過ぎりましたし
この呪いを打ち砕くために
私は生まれたのか そんな嫌な役目を
何故私が背負わなければいけないのか
とも思いました
しかし 違うのです
それらの思いは全て
私を神様から引き離す力から出ているのです
だから 家の呪いを打ち砕くという
道に導かれました その結果
「親がもし神様の愛の中で健全に
生きていたなら間違えなくこの両親が
神様が私の置かれた場所」だと
悟ることが出来ました
自分の置かれた場所に隠された
本当の祝福を知ることが出来たのです
これは本当に素晴らしい祝福です
神様はイエスさまに
呪いの部分を全て背負わされたので
イエスさまを信じるなら
自分は呪いから解放されます
ですが自分の呪いの奥に隠された
宝を探すことは人の責任なのです
霊的には解放されるのですが
自分の内に溜め込んでしまった
敵の言葉を 神様からの言葉で
上書きすることにより
その宝を見つけることが出来るのです
ですから私は 神様のみことば
それは書かれた文字だけではなく
今語られているレーマも強く求めます
それだけが前に進む道を作り
私の内にある呪いの奥にある
宝を輝かせ表に出すことが出来るからです
主観で生きていたら 神様の新鮮な
新しい言葉をブロックしてしまいます
例え 内に悪いものがあっても
それはことばであるイエスさまと
内におられる聖霊さまにより
綺麗にクリーニングされることを宣言します
そして 霊的カバーである
教会に 本当に心から感謝します
今週のテーマは正に言葉の問題でした
今 必要な「言葉」の問題に
打ち砕きをくださったことに感謝します
今 自分の内にある自分を不幸にする思いに
苦しんでいる人はぜひこの礼拝動画の
最後に出てくるお祈りを祈ってください
(そこに至るまでのお話も解放のために
ぜひ聞いてくださいね)