弱さを明け渡す – DIARY WITH GOD
2016.11.14
今日は 自分の思わぬ弱点に気付かされる日となりました
当然のことながら今の自分になるまでには様々な経験をしています
気質自体は 子どもの頃から全く変わっていないように思いますが
その気質でもって様々な出来事にぶつかりその経験が 物事を判断する自分自身の土台となっていきますが
「判断」これが自由な発想を妨げるジャッジ(場合によっては裁き)の癖となってしまっているのです
弱さの根
判断基準は自分自身の気質なので自分の気質+出来事=判断基準という図式が出来上がります
これは自分自身に縛られている とも言えます
クリスチャンになりイエスさまにより自由を手に入れ自分自身の発想の地境を広げたいと思うなら
自分自身の気質というものを折らなければなりません
特に 弱いところについては完全に明け渡し 神様に栄光を現して頂く必要がある
弱いところというのは大抵その弱さを覆い隠すための仮面を付けてしまっています
子どもの頃なら 怖いと思ったら泣いたり攻撃したり逃げたりと素直な防御反応が出たことでしょう
弱さは守るのではなく誇るところ
その時に もし神様との関係が出来ているなら
神様が 大丈夫 私が一緒にいると共に乗り越えてくれることを体験することが出来たはずです
しかし 神様を知らずにいた時には
間違えた対処をしてしまうことが多々あるわけです
特に弱いところに関しては神様に頼るよりも 自分が身に着けてしまった防御の方法に頼ってしまうことが多くなる
ですが 以前書いたことがありますけど弱さというのは神様に明け渡して神様に栄光を現して頂くことが出来るとても素晴らしい「素地」なのです
第二コリント人への手紙12章9-10節しかし、主は、「わたしの恵みは、あなたに十分である。というのは、わたしの力は、弱さのうちに完全に現われるからである。」と言われたのです。ですから、私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで私の弱さを誇りましょう。ですから、私は、キリストのために、弱さ、侮辱、苦痛、迫害、困難に甘んじています。なぜなら、私が弱いときにこそ、私は強いからです。
自分の弱点
防御をしている時というのは神に頼らず自分自身の方法に頼っている時です
そして その防衛が外に向けば攻撃となります
今日 私が気付いた思わぬ弱点というのは弱い人が突然思わぬ攻撃をしてきた時に上手く対応が出来ない ということでした
それは 相手の弱さがわかるからです
相手がなぜそういう行動に出るのか理解は出来るのです
しかしそれは大変理不尽で 周囲を傷つけます
もし良い親がいる環境下で子どもが怖がって泣いて暴れているのであれば親が止めてくれるかもしれません(殴られつつ…
しかし 大人になってもそれをやっている人をどう受け止めればいいのか全くわからないのです
弱点への間違えた対応
わからないし 理不尽なので基本 私は避けてしまいます
でも 避けられない人もいるのです
そして最近の私が唯一「悩んでしまう」のが
もろに被害を被ってしまう人が疲弊していくのを見てもどうにも出来ないことなのです
何故唯一なのかというと
大抵のことは神様に委ねるのにこの件だけ何故か それが出来なかったのです
許すことも出来なければ祈ることも出来ない
それで気が付いたのですが
私は 身近な人がゴミを投げ捨てたらきちんとしなさいと教えることはしても
本人が目の前にいる時は代わりに自分で拾って捨てることは決してしないタイプだったのです
本人がいない時に気付いた時は捨てますが本人がいるなら絶対に本人にやらせます
そして拾った後に必ず本人に注意をします
外で同じことをやるようなら本人が恥をかくことですから徹底的に言い続けます
自分のこの「こだわり」が自分を不自由にしているのだな
と いうことに気が付きました
神様が変えたかったこと
私は長く この件について自分を変えてくださいと祈っていましたが
結論 その祈りは聴いてくださいませんでした(苦笑
気質自体は変える必要がなく自分でジャッジをする前にきちんと神様に委ねる方向へと促されました
自分の判断で使うのではなく神様に用いて頂くように ということです
しかし実はこれ
クリスチャンになってすぐの頃はきちんと委ねることが出来ていたのです
なんで最近は出来なくなっていたのだろう?と思いましたが
以前は 避けて安全な場所で遠くから祈っていたことに気付きました
安全な場所で自分が守られている状態で祈っていたのです
目の前 大変身近なところで起きた場合冷静に対処出来なくなっていただけでした
正に 自分の弱さを痛感した出来事でしたが
逆を言うと その体験が出来るほどには成長したということかもしれません
そして面白かったのが自分がそのことに気付いた時にバイトから返ってきたりゅうくんが
「自分の思い込みで制限かけてたことに気付いたんだよー」と言ってきたことです
自分が変われば人が変わる
こういったことは同時進行で起こるものだとは感じていましたけど
今回はもしかしたらりゅうくんが気付いたことの恩恵を私が受けたのかもしれませんね