全てを創造された方の言い分 – DIARY WITH GOD

2016.10.17

昨日の与えたい神の最後で

何かを手に握ってしまっているならどうか全てを焼き尽くしてください

というお祈りをしましたが

早速焼かれました(苦笑

それは

神様の本質という記事で書いていた私が神様と格闘してしまっていたところについてでした

今日のQT箇所は ぶどう園と農夫の例えでした

マタイ21章33~41節少し長いので要約しますが

ぶどう園を1から全て造った主人が農夫にそのぶどう園を貸して旅に出た

収穫の時が来たので主人が自分の分を受け取ろうと人をやると農夫は暴行を加えて追い返してしまった

主人は 自分の息子を遣いに出せば敬ってくれるだろうと思ったが跡取りを殺せば自分たちのものになると農夫は息子を殺してしまった

主人はどうすると思いますか?という問いに 祭司長たちは

悪い農夫たちを皆殺しにしてきちんと収穫を収める他の農夫に貸すでしょう と言った

というお話です

私が神様と格闘していたことというのは

イザヤ書43章4節わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。だからわたしは人をあなたの代わりにし、国民をあなたのいのちの代わりにするのだ。

後半部分の「人をあなたの代わりにする」

というところに対して

誰かの犠牲があるならそんな恵みはいりません~

という抵抗をしていたわけです

これに対して今日のQT箇所を読んでいて

今 地の管理をしているのは確かに人だけどその原資は全て神様なのだから出所がどうであれ それを受け取りなさいと神様が仰ったら それは受け取らないとだし

預けて頂けるということは管理者として認めて頂いているということなんだなぁ

と いうことがわかりました

その恵みが 良い管理者が神様に捧げた主人がお持ちの収穫の取り分であろうが

悪い管理者から神様が取り上げた悪い管理者からの引継ぎ案件であろうが

選り好みする権利は私にはないな

と いうことをやっと悟れました

更に言うと

良い管理者だけど私が影響を受けたくない人が神様に捧げたもの についても

「神様が聖められた後」でだったら受け取っても大丈夫なんだー

と いうことがわかりました

これは霊的な話になりますが

人から物やお金をもらう時に「におい」がするのです

私はそれをすごい選り好みしていました

例えば パチンコで勝ったから飲みに行こうー とかいうのが苦手なわけですw

なんか変な臭いするー!たばこくさーい!

みたいなね…

クリスチャンになる前は断りきれず苦労しましたが

神様の守りの中にありながらそういうことが起きるということは意味がある場合がほとんどなので

神様からどう対処すれば良いか都度都度知恵を頂いておりますけど

同様に

良い人なのだけど 物凄く自分の努力に頼る人から頂くものなどには

重石が乗っかってくるような感じがして背負わされるようで嫌だったのです

ですが

聖め方は 知っていますそれは「感謝をして受け取る」ことです

神様に向かって そのみ恵みを感謝して受け取れば 聖めてくださいます

でも

聖めれば聖くなることはわかっても相手の負の部分を垣間見る瞬間に

人なので どうしても一瞬嫌悪感を感じてしまうわけで

そういう自分の思いも嫌だったし見たくないもの見ちゃった><と思うことも嫌だったのです

今日のQTの啓示は正にその潔癖なところに対する「命令」でした

あなたの持つ知恵知識もわたしのものですわたしがあなたに恵みをもたらすために用いたいと思ったらあなたはその恵みを受け取り拒否してはいけませんそれを決めるのはわたしなのですから

わたしが聖めたものを汚れていると言ってはいけません

…アーメンです

世 敵 肉を見ない 神様の方だけを見る神様のなさることは全て良いことだけ

本当に感謝します

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