神の目による視野を広げる – DIARY WITH GOD

2017.04.24

今日のQTからの示しは

俯瞰的に状況を見ている人と

主観的に状況を見ている人とで

何が違うのかを示すものでした

私たちは キリストにあって1つの体ですが

ひとりひとりは違う臓器 違う器官です

最近 違う臓器である兄弟姉妹と

それぞれが神様から与えられたものを

互いにシェアしあうことで

目が開かれるという体験をしています

もし 自分の目線からだけ物事を見ていたら

例え神様に忠実に歩いていたとしても

神様のほんの一部のご性質しかわかりません

ですが 神様が他の人に対して

どのように語りかけられたかを知る時に

自分だけでは悟り得ない

他の人が担っている神様の姿を

垣間見ることが出来るのです

見聞きする対象は

人の思いではありません

人の行いではありません

神様の御業は間違えなく

誰の内にあっても本当に美しいのです

このことは 本当に感動があります

そのことに感謝をしていたら

QTでこのような語り掛けを頂きました

愛する澄子

人は賜物によりほんの一部分を垣間見ます

全てではありません

互いに愛し合い互いに尊重しあうなら

その全てを知ることになりますが

もし自分が見ている部分だけを尊重するなら

その人は偏った人になるのです

私はそのような偏りを良しとするでしょうか

それは平和を招くでしょうか

それは一致を招くでしょうか

また 神から出たものではないものを持ちこんだら

そこに一致はあり得るでしょうか

ひとりひとりが臓器であり一部です

ですが もし一部だけ感覚がマヒしていたり

余計なものがついていたらそれは病んでいます

ひとりひとりが完全になるのではありません

全員でひとつになるのです

牧者だけがわかっていればいいのではありません

無理か無理ではないかを人の目で判断して

自分たちの方法でやるのは人のやることです

人に力があるのではなく神に力があるのです

神様から与えられたものを互いにシェアをする時

それは 間違えなく倍増します

(自分にとって)新しい神様の御業を知り

本当に恵まれます

人の理解に頼ろうとすれば

頭でわかった瞬間は悟ったような錯覚に陥り

頭ではわかっているけど無理!という

葛藤と闘うことになりますが

神様の方法は違います

頭でわかっていても出来なかったことに

易々と打ち破りを与えてくださいます

イエスさまは 全てに勝利されているのです

ブレイクスルーが 人の悟りとしてではなく

神のみ恵みとして与えられていることに

本当に 心から感謝します

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