神に信頼し真実の愛を示す – DIARY WITH GOD

2017.03.09

昨日の日記(神様にとって特別になる)の続きになるのですが

神様と相思相愛になりたいと思う時神様は それが本当の愛かどうかを試されます

神様のために全てを捨てることは出来ますか?

それは 旧約・新約の両方に一貫して神様からの問いかけとなっています

まず 真実の愛とはどういうものかについて考えてみたいと思います

例えばですが

子どもが日本の医療では対応が出来ない病気になり海外で手術を受けないと助からないと言われたとします

子どもはとても苦しそうでたくさんの生命維持装置を付けられてしまっています

そういう時 親はどう思うでしょうか

お金でも持ち物でも 全てを投げ打って助けたいと思うだろうと思います

また 苦しむ子どもの姿を見て自分が身代わりになりたいと思うかもしれません

それは 間違えなく真実の愛です

神様は 人にそのレベルでの「真実の愛」を求められるのです

勿論 神様は苦しまれていませんし人が投げ打つものを必要としているわけではありません

ですが 口だけで愛していると言いながら自分のものを何も差し出すことをせずに自分の領域を守ろうとするならそれは真実の愛でないこともまた事実です

故に 神様は実際の行動で愛を示すように促されることがあるのです

そのことを イエスさまは全てを捨ててついてこなければ私の弟子として相応しくない

という表現をされました

父を葬らせてほしいと言った弟子にそれを許さなかったり(マタイの福音書8章21-22節)

お金持ちの人が御国に入るためにどうすれば良いかと質問してきた際に持ち物を全部売り払い わたしについてきなさいと仰ったりしました(ルカの福音書18章22節)

がっかりして帰っていくお金持ちの人をご覧になりイエスさまは 金持ちが神の国に入るよりはらくだが針の穴を通るほうがもっとやさしいと仰いました

それに対して 本当に全てを捨ててついてきたペテロはこう言います

ルカの福音書18章28節ご覧ください。私たちは自分の家を捨てて従ってまいりました。

(ペテロは漁師でしたが ペテロの家は大変大きく 船をたくさん持って人を雇うような 裕福な網本だったのではないかと言われています)

するとイエスさまはこう仰るのです

ルカの福音書18章29-30節まことに、あなたがたに告げます。神の国のために、家、妻、兄弟、両親、子どもを捨てた者で、だれひとりとして、この世にあってその幾倍かを受けない者はなく、後の世で永遠のいのちを受けない者はありません。

実際 ペテロは人を取る漁師にしてあげようと言われイエスさまの弟子のリーダーとなりました生家で雇っていた人の何倍もの人の面倒を見てとても強い関係で結ばれたことだろうと思います

神様は 御国に入るために全てを捨てることを求められますが

この世において何倍もにしてくださり更に 御国で永遠のいのちを得ることを約束してくださっています

このことは 旧約聖書においてはアブラハムが息子イサクを生贄として捧げるように示されたことや(創世記22章)

ヨブ記において ヨブが全てを失い神様との関係が築かれた後に失ったものを2倍にされたと書いてあることからも(ヨブ記42章)

神様と人との関係において鍵となるものであることがわかります

ちなみにですが

イエスさまは花婿 教会は花嫁と例えられるように結婚は これに近いものがあると感じます

女性には 社会的なものや実家など全てを捨てて嫁ぐ人もいると思いますが(必ずしもそうとは限りませんが)

イエスさまに嫁ぐと考えた時今自分が持っているものよりも間違えなく良いものがすべて整っていると信じて全てを捨ててついていくことはそれほど難しくないと感じると思います

というか 私は全く不安を感じませんしむしろその方が良いに決まっていると信じて疑いません

ですが それが「この世において」となるとどういうことが起きるのか全く想像がつかないと思います

実際 想像は付きませんし想像を遥かに超えた次元でそれはこの世にもたらされることとなるでしょう

この世において全てを捨ててイエスさまについて行く人は

この地に肉を持ちながらも御国の住人となりこの世においては寄留者となります

そして 御国の恵みを地に現す人となるのです

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