神様だけに期待をする – DIARY WITH GOD

2017.03.27

昨日 今日とQT(デボーション)の時に

大きな心の癒しがありました

神様が 私の本音を教えてくださったのです

どんな本音を教えてくださったのかは秘密ですがw

私が望むことは

神様にしか叶えることが出来ないことでした

正確に言うと

神様になら出来ることでした

神様が 私に甘えなさいと仰っていたのは

私になら出来るのだから期待をして

という意味だったということが分かりました

私と神様の思いは同じでした

私が望んでいることは

神様も望むことでした

だから 神様は私のお願いをいつも

叶えてくれるんだなとわかりました

人には分相応というものがあります

過去にも書いた例え話ですが

3歳の子どもには本物の宝石ではなく

おもちゃの宝石で出来た首飾りをあげます

ですが その子が20歳になった時

その首飾りが気に入っているからと

身に着けようとすれば

あなたにはもうおもちゃは相応しくないと

本物の宝石の首飾りが渡されます

相応しい というのはそれぞれにあり

全員が一様に同じではありませんし

時があります

去年自分に相応しかったものが

今年も相応しいとは限りません

時は その時々にきちんとあり

そして 全てが大切な時間です

おもちゃの首飾りを無邪気に喜ぶ

可愛らしい時も

本物の宝石が相応しくなった時も

それぞれに愛のある素晴らしい時間です

今 もし「今」に相応しくないことがあるなら

それを1つずつ 相応しいものへと変えていく

それが 神様の御心なんだなぁと思いました

伝道者の書3章11節

神のなさることは、すべて時にかなって美しい。

神はまた、人の心に永遠への思いを与えられた。

しかし、人は、神が行なわれるみわざを、

初めから終わりまで見きわめることができない。

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