人を通して愛を伝える神 – DIARY WITH GOD

2017.10.24

神様から示されるレーマやビジョンは

理屈抜きで一瞬にして私自身を

平安の中に導き入れてくださいます

その平安は それさえあれば

全てが大丈夫だと確信出来る程に

力に満ちているものであり

神様さえ居れば 私たちは

何も恐れることなく前に進めます

そして 素晴らしいことに

その平安は 他の人にも

伝播していくものなのです

ふと示されて 普段全く縁がないような

場所や人のために祈ることがあります

そういう時に 私が神様から示された

様々なレーマの言葉をシェアすることがあります

その様子をりゅうくんが 以前

5つのパンと2匹の魚のように

私がそのレーマを祝福して

分け与えることで増えていくと

神様から教えて貰ったことがありますが

人々は そのパンを食べて満腹しました

同じように その神様の言葉は

人を十分に満足させてくれます

先日ふと お祈りをする機会を頂いて

祈った事柄は 本当に全て

神様の栄光が現れる結果になっていて

神様のみこころ み言葉を

流す役目を頂けるということは

どれ程に素晴らしいことであるかと

本当に感謝する思いが与えられました

預言のセミナーの時には

神様から頂いたビジョンやメッセージは

自分にとっては関係ないものであり

受けとる本人にしかわからないことが

殆どだったのですが

そうではなく

自分が 神様から頂くのは

聖書に書いてあることを

とても情緒的に 心に響く形で

示されることが多いのです

例えば 先日も書きましたが

イエスさまとの距離感を解消したいと

祈り求めた時に語られた言葉はこうでした

あなたが産まれることを心待ちにしていた

身を引き裂かれてもあなたを取り返したかった

あなたと一緒に神様の仕事をしたり

食事をしたり 遊んだり 日々のことを

一緒に楽しむことを本当に楽しみにしていた

これを聞いたとき 本当に涙が出ました

ですが こういったメッセージは

聖書に全て書かれている事柄です

地の基が出来るより前から

私たちは選ばれていたということ

神様がイエスさまに与えられる人々が

イエスさまにとっての報酬だということ

地の終わりまであなたたちと

供にいるとイエスさまが仰ったこと

これは全て 聖書に書いてあります

ですが 本当にイエスさまとそのように

過ごせているかは別なのです

イエスさまは確かにいるのに感じなかった

だから感じたいと願った

その結果 イエスさまは

私にわかるように語ってくださった

聖書でロゴスとして読むのとは

全く違うのです

そうやって受けた愛を

人と分かち合う時に それは

きちんと伝播していくのです

自分が愛された分だけしか

人に愛を伝えることは出来ません

神様が自分をどのように どれ程に

愛しているかを知らなければ

神様が あなたのことをどれ程に

愛しているのかを伝えることは出来ない

以前から 私のことを祈ってくれる人が

凄い神様の愛を感じるよ!と

言ってくれていたのだけど

自分自身がそれを実感出来ず

またそれを言葉に出来る人もいなかった

勿論それは 人伝てではなく

神様が直接私に語りたいと

思ってくださってのことかもしれません

でも 受け取った私はその愛を

他の人に伝えることが出来るのです

たくさんの人が 少しずつ神様に

似せて作られているので

他の人には他の人だけが受け取れる

神様の愛があり

矢張り それを分けてもらえる時は

本当に嬉しいし感謝をします

神様の愛を伝える役目を頂けるということは

本当に本当に 素晴らしいし

感謝なことだなと思うのです

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