思いを神様に明け渡す – DIARY WITH GOD

2019.05.14

今日は QTからもそうだったのですが

権威というものについて考えさせられる

機会がありました

それがどういうことかという詳細については

過去に体験した悪い経験がきっかけで

権威に対して間違えた接し方をし続けてきた

というだけの話なので書くには値しませんが

過去のことを思い出すに もしかしたら

私は自分が権威ある言葉を用いることが

嫌いだったのでは と思い当たりました

人にアドバイスはする癖に そのアドバイスにより

人が変わることが私はすごく嫌だったのです

自分の発言の重さに責任感を強く感じてしまい

自分の言葉などで人が変わってはいけない

とすら思っていました

その理由は 私自身が何が良くて何が悪いかを

知らなかったからという一言に尽きます

但し 明らかに悪い方へ行こうとしている人に

忠告をしても聞き入れられない場合は

物凄い憤りを覚えていたのですが

どちらにせよ 敵に思いっきり

騙されてたよなぁと思う事のひとつです

聖書を読むと ある意味真逆ともとれるようなことが

たくさん書いてあります

預言者は 人に悔い改めることを薦め

放蕩息子には 求める通りに財産を渡し

そこから学んで悔い改めるのです

要するに悪い方に行くのを止めようとすることだって

悔い改めの機会を潰す行いだったかもしれないのです

ともあれ 聖書の神様というのは

それまで知っていた神々と呼ばれるものとは

全く異質であることはすぐにわかりました

そこには明確な答えがありました

神様というのは 人を良くすることを

本気で考えている方であり

その様な方はただおひとりなのです

ほぼ逆ともいえる価値観に自分の思いを

寄せていくことは大変でしたが

しかし 求めたものは全て与えられ

求められないことも 求めていないことも

全てが与えられており それらは例に漏れず

どれを取っても 全てが本当に良いものだけなのです

こんな神様は他にはおられませんし

それほどに力がある神様もおられません

私が知っていた神々というのは

人が祭り上げなければ力を持たず

祭ることを止めれば呪うようなものばかりで

それは結局 悪魔というのは力がなく

人から力を奪うしかないということを

裏付けているようなものでしかありません

その様にして人は 集まれば力になりますが

唯一の神様は人に全く依存しないのです

今では 私が伝えた言葉で人が変わり

それが一時的な変化ではなく

根本から良くなっていることを見て

正しく神様からの示しを伝えることが

出来たという喜びに満足出来ます

それは 神様の示しであれば間違えがないからです

また敵からの示しであれば

それは 全く力を持ちません

ということは 良い方に変化してそれが

巻き戻らないということは 間違えなく

神様からの示しだということがわかります

その喜びを奪おうとするものもいますが

相手にしなければ何の力もありません

伝えるというのは必ずしも教えることではありません

むしろ教えることよりも 欲求を伝えることの方が

人が変わる場合が多くあります

それは 神様が与える思いだからです

神様からのものであるなら変化は起こります

今日のQTは この様なものでした

愛する澄子 あなたはわたしが置いた場所において

神の解決を流すものです ですが

選ばれたものはわたしの声を聞きます

多くの者がわたしや使徒たちに

癒しや必要を求めて来ましたが

誰もがわたしや使徒のように生きる道に

入ったわけではありません

わたしの招きに応えることが定められたものは

わたしの声を聞いたときに応えます

しかし弟子として建て上げるには学ぶことが必要です

権威はわたしから出ます

わたしが語ること以外に権威はありません

あなたがあなたの思いで教えることには権威はありませんが

しかしわたしに明け渡す時にわたしはあなたを用います

思いが与えられたら ただ素直に

それを伝えるだけで良いのであって

どうやったらうまく教えられるだろうかなどと

相手を変えるために自分が手を加えようと

する必要はないということです

明け渡すというのはこういうことなんだな

と 思うのでした

記事一覧へ戻る