全ての責任を神様に委ねる – DIARY WITH GOD

2017.07.12

もし「この部分は自分でなんとか出来るから

この部分だけ神様助けてください」と言うなら

神様は はっきりこう仰有います

「私はあなたの全てが欲しい」

家や会社ではいつも通り生活をして

日曜日の礼拝だけ神様を賛美するなら

クリスチャンとしての生き方ではありません

クリスチャンとは キリストに似た者という意味です

イエスさまの周りは いつでも

不思議と奇跡と癒しと解放がありました

もし クリスチャン自身が神様の介入を拒み

神様の栄光を現さないのであれば

勿論 神様はそのことをよしとはされません

ですが 人には自由意思を与えられたので

もし人が 介入しないで結構ですと言うなら

(或いは介入を求めないなら)

人がどんな苦しんでいても神様は

手を差し伸べることが出来ません

人同士でもたまにありますよね

見るからに大変そうで 明らかに助が必要なのに

手伝いましょうか?と声をかけると断られる

或いは(今直面している問題ですが)

やり方がわからない どうしようと言いながら

人に尋ねることをせずに間違えたことをして

余計な仕事を増やしてしまう

ですが ふと思い出したことがあります

以前 私は自分でなんとか上手くやろうと

していたことについて

神様に砕かれたことがあったのです

どのようにすればいいのか

知恵を与えてください

やり方さえわかれば自分でやるから

と 思っていたんですね

ですが 神様はその思いを砕かれました

仮に 方法論がわかったとしても

むしろ それが神様から来る

良いものであればあるほど

霊的な邪魔や攻撃が酷くて

なかなか形にならないのです

そこで私は 神様の守りなしに

この世で神様から出る良いことを

形にすることは不可能なのだと悟り

人が自分の責任で為し遂げることなど

神様は望んでおられないのだと気付きました

確かに聖書には あなたにはやらせない

あなたが 自分がやったと誇らないためだ

というニュアンスの記述が何度か出てきます

また 神様に特に愛される人の

神様に対する態度を見ていると

決して自分では頑張っていません

自分で頑張らずに

全てを神様に委ねること

それこそが 神様が私たちに望む

よい戦いをするための態度なのです

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