ただ神様だけを見る – DIARY WITH GOD

2019.05.13

今 QT箇所はイエスさまがユダヤ人に対して

ご自身がメシアであることがわからないのは

あなたたちが私に属するものではないからだ

と言われたため ユダヤ人の間に分裂が起きる

というところなのですが

イエスさまはこの時 言うなればわざと

ユダヤ人たちに挑発的な表現をされており

ご自身が死ぬことを選んでいることまで

明確に語られています

以前はこれがどういうことなのか

全く理解出来ませんでした

今になってわかることは

イエスさまは 神様がご自身に与えられた人を

救うためだけに来て死なれたのであり

不特定多数の全人類のため という

博愛主義的なことは言っていないということ

しかし イエスさまが背負われたのは

敵対するものを含めた全人類の罪だということです

だから イエスさまが自分自身の罪のために

死んでよみがえられたことを信じるなら

神の子として貰えますが

イエスさまの弟子になるとするなら

全ての人を 罪赦された人として見て

神様の御心をすることは勿論大事なのですけど

しかし 神様がやりなさいと言われたこと以外に

気を向けるべきではないのだなと感じました

QTを通して語られたことは

この様なものでした

愛する澄子 死人は死人に任せておけばいい

という表現が他の箇所にありましたが

あなたは自分がやるべきこと 父の心に

しっかりと目を合わせて 周りを見る必要はありません

監督としてその様なことをやるときも

勿論あるでしょうが 監督するべきではないものに

自分の心や時間を割く必要はないのです

父だけに心を向けなさい

父はあなたに為して欲しいこと 思いを与えられます

語りかけという外から来るものは敵です

あれをしなければいけない

これをしなければいけないといった

人を偽善者に仕立てあげるような嘘は

大抵 その裏に恐れの感情があり

恐れているものは神様ではなく人です

人を恐れるから偽善者であろうとするのは

神だけを恐れ 雄々しくあれという

聖書の励ましとは遠く離れたこの世のものです

その様にして人の犠牲となったとしても

悪魔が喜ぶだけで 犬死にとなります

しかし神様のために己を捨てるなら

何倍にもしてくださるのです

私が20年近くやってきた仕事を神様は

敵に奪われたものだったと言いますが

それは本当に間違えないことであり

私は私を切り売りしてお金を得てきたという

自覚がありましたし そうすることでしか

稼ぐことは出来ないと思っていたのです

そんなことをしてまで生きなければいけないことは

本当に嫌でしたが しかし私は神様のために

まだなにもしていないという思いが強くあり

その思いの故に生きてきたのです

クリスチャンになった頃 私は

神様を知っていると思っていました

神様だけを求めて 神様に導かれて

ここまで来たと思っていたからです

ですがそれは 全く間違えていて

神様は確かに私を選び 私をご存じで

必要な時には思いを与えてくださり

私を助け守ってくださっていましたが

しかし私自身は神様のことを

何も知らなかったのです

私の人生は 人のものではなく神様のものだ

ということは知っていたし それが私の望みでしたが

神様は 自分自身を大切にしなさいと仰るので

私は自分を大切にすることを選ぶのです

神様のために命を捨てたものは

何倍にも命を得る ということを

身をもって体験していると思います

偽善 博愛 そういったものは全て

人を神様から離れさせるための嘘なんだな

と 思う今日この頃なのでした

多分ずっと語られ続けていることなのですが

それがようやく こういうことかーと

腑に落ちてきたと感じます

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