人の重荷 – DIARY WITH GOD
2016.10.20
イエスさまは ユダヤ人に対して重荷がありました
重荷というのは その人たちのために何かをしたい 何かをしなければという使命感のようなものを言いますが
イエスさまの場合はきっと明確に「あなたの範囲はここ」と神様が示されているのをご存知だったのでしょう
異邦人であるカナン人がイエスさまに助けを求めた時
一見 冷たいとも取れる対応をしています
マタイの福音書15章22~28節長いので要約しますが
カナン人の女は イエスさまに娘が悪霊に憑かれているので助けてほしいと叫びながら一行について歩いてきました
弟子たちが イエスさまにあの女を帰してやってくださいと願いますが
「わたしは、イスラエルの家の滅びた羊以外のところには遣わされていません。」
と答えられました
また イエスさまの前でひれ伏すカナン人の女に
「子どもたちのパンを取り上げて、小犬に投げてやるのは良くないことです。」
とも言われています
ご自身がなされることには範囲がありそれ以上のことをするのは良くない
と 仰るのです
と言っても この後カナン人の女の謙遜な信仰に感動したイエスさまはカナン人の女の娘を祝福し悪霊は追い出されました
当時 カナン人はイスラエル人から「犬」と呼ばれ蔑まれていたそうです
しかしイエスさまは「小犬」と仰ったそこに神様の慈愛が含まれている
それを感じ取ったカナン人の女は
「主よ。そのとおりです。ただ、小犬でも主人の食卓から落ちるパンくずはいただきます」
と 自分自身を低くして 尚懇願しました
それでイエスさまは その態度と信仰を褒めて願った通りになります と祝福されました
このお話で ひとつはカナン人の女から信仰の態度を学ぶことが出来ます
ですがもう一つ
イエスさまが示された「重荷を背負う範囲」というのはとても重要な概念です
自分自身が背負う分以外に目を向けてしまえば
本来背負わなければいけない重荷に向かう時間がなくなってしまいます
すると 自分が為すべきことが出来なくなる
もし 自分に助けるべき人が定められているとしたら
余計なことに取られている限りその人は助からないわけです
イエスさまは聖書の中で
自分の十字架を背負ってわたしについて来なさい
と 仰っています
人の重荷を背負うということは神様から与えられた仕事をサボって人のお節介をしている
ということになります
自分自身の重荷は何なのか自分が神様から示された今日やるべきことは何なのか
その範囲を超えずにいてもその日の労苦は十分あるとイエスさまは仰います
イエスさまを受け入れて 突然背負っていたものが軽くなりすぎて
こんなに楽でいいのかともし不安になることがあるとしたら
この聖句を思い出してください
マタイの福音書11章28~30節すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。