忍耐の先にある希望 – DIARY WITH GOD

2017.01.13

今日はアメリカ レディング州にある天の御国の文化を教える教会として有名なベテルチャーチから

ヒーリングミニストリーディレクターのクリスゴア牧師が来日し教職者向けのメッセージをされました

アウトラインを聖会アーカイブに掲載していますのでご興味ある方はご覧ください

私は まだ出来て間もない教会で洗礼を受けたこともあり(4年前の7月に出来たばかりの教会で 10月に洗礼を受けました)

幸いなことに 今日のお話の中心にあった「奇跡が起こらないことに聖書解釈を寄せた間違えた神学」というものとは全く無縁で

愛のある奇跡が伴い 聖書のみ言葉通りに語られたことは必ず為されるからこそ聖書の神様は 信用するに値する真実の神である

というところには全く揺らぎはなかったのですが

今日のお話の最後に「忍耐」と「継続」というキーワードが出てきました

癒しが起きるまで1000人以上の人に祈ったが癒しは起こらなかった しかし諦めなかった

重度の障害を持つ娘がいて他の人は癒されるのに彼女はまだ癒されていないしかし私は全く諦めておらず最近 有名な預言者から彼女の癒しの預言を貰った

という 牧師自身がまだ忍耐の中にありしかし決してあきらめることなく継続して祈り続けていることを語られました

また 特に娘さんについては無償の愛を彼女から学んだ癒しについて 彼女との生活から学んだことは多い と

彼女の存在によりご自身が練られた品性を身に着けたことを証されていました

練られた品性というのは聖書のこの聖句のことです

ローマ人への手紙5章1-4節ですから、信仰によって義と認められた私たちは、私たちの主イエス・キリストによって、神との平和を持っています。またキリストによって、いま私たちの立っているこの恵みに信仰によって導き入れられた私たちは、神の栄光を望んで大いに喜んでいます。そればかりではなく、患難さえも喜んでいます。それは、患難が忍耐を生み出し、忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出すと知っているからです。

実は最近 人から祈ってもらう時に「これから起きることには忍耐が伴う」ということを預言的に祈られていて

忍耐と言えばこの聖句 と思っていたのでどんな忍耐がやってくるのだろうと少しの期待と緊張を持って意識していたのですが

メッセージが終わった後の賜物分与の時間には忍耐が出来るようにという祈りがあったのですけど

大丈夫 覚悟は出来てるよー

という喜びに満ちた思いでそれを受けました

そして帰宅をしてからわかったのですが

その忍耐 はもう既に始まっていることで神様は既に その忍耐の時を私と共に苦しんでくださっていることだったと気が付いたのです

詳細を書くと長くなるので割愛しますが

忍耐する覚悟は確かに神様により建てあげられていたけど

そこにある希望を掴んでいなかったなということに気が付きました

これは 幼い頃の悪い癖で人のために忍耐をするだけしておいてこんな大変な思いをした結果なんて私はいらないんで と捨てちゃうのです

このことは 神様の目から見たら全く持って御心ではないことはよーくわかっていたので

悔い改めなくちゃーーーーっという思いをずっと抱いていたのです

今日の賜物分与によりすんなり希望を受け取ることが出来たのです

最近 決めたから忍耐はするもののどう折り合いをつけていいのかわからない状態が続いていたのですが

苦しかった理由は 人の分まで背負っちゃっていたからなんだなぁということまで理解が出来ました

まあ 思うところは色々ありますが

この忍耐は 神様が私を練り上げるために与えてくださったものだと思うと

本当に幸せだなぁ と思うのでした♡

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