人の思いを変える祈り – DIARY WITH GOD
2017.11.27
今日は とてもがっかりすることがありました
しかし そこには神様からの
示しが確かにありました
もし 最初からきっとこうなるから
傷付かないように覚悟しておこう と
自分を守っていれば傷付きません
それは 人を傷つけないための
予測行動とも似ていると思います
例えば 車を運転していれば
学校近くの小道から子どもが
飛び出してくるかもしれないと
警戒しなければいけませんし
お年寄りが自転車でふらふらしていたら
倒れたり 突然道路を横断するかもしれないと
警戒するのは当然です
そして そういうことが起きたときに
相手を責めたり罵ったりするかと言えば
そうでもなく
そういう人たちを守ることが
社会のルールだという自覚の上でいるので
もしそんなことが起きたとしても
相手を助けたり 危ないから気を付けてね と
注意をするのが まともな大人の対応です
人に期待をしてはいけないのです
ですが神様により そのようなことが
起きないように祈ることは出来ますし
その祈りこそが私たちの仕事です
そして世の中には
自分にとっては当たり前のことも
人にとって当たり前でないことも
たくさんあります
今も まともな大人の対応とは
こういうものだと書きましたが
全員が出来ているとは思わないし
私だって 突然の出来事に対して
びっくりして怒ることはあります
しかし 世の中全体が聖霊さまにより
そのような方向に変わっていきますように
と 祈ることなら出来るのです
事実 電車の中などで目の前に
人の欠点を悪く言う人がいる時
神様に この人に触れてくださいと祈れば
話題はいつの間にか その人の長所や
弱さを労る話にすり変わることを
何度も見てきました
しかしもし 目の前にいる人に対して
こんな人の悪口を言って 嫌な人だなどと
裁く気持ちを持ってこちらまで怒るとしたら
背後の霊にやられているのかもしれません
背後の霊を縛り上げる祈りをしてから
神様に触れてくださいと祈る
そこには霊の戦いがありますが
その戦いは自分の中で起きているのです
りゅうくんが 今日
私がとても凹んでいるときに
神様を感じるから大丈夫 と言って
この聖句を示してくれました
ヘブル人への手紙 12:4-6
あなたがたは、罪と取り組んで戦う時、
まだ血を流すほどの抵抗をしたことがない。
また子たちに対するように、あなたがたに
語られたこの勧めの言葉を忘れている、
「わたしの子よ、主の訓練を軽んじてはいけない。
主に責められるとき、弱り果ててはならない。
主は愛する者を訓練し、受けいれるすべての子を、
むち打たれるのである」。