賜物を神様に委ねる
数日前に肩をちょっと痛めてしまい フィットネスのパーソナルトレーニングを 真面目に集中して受けることを決め その一回目が昨日だったのですが やっぱり受けてみて良かったなぁと 思うことばかりでした 感覚的に「筋肉の使い方が偏っている」ために 首や肩の痛みが治らないのだろうことは なんとなくわかっていたのですが 矢張り 肩甲骨の上(=肩)の筋肉だけが 大変発達してしまっており 肩甲骨や腕の筋肉の一部があまり動かず 発達した筋肉だけが無理をしている 状態であったそうです 周囲の筋肉の中には凝り固まっており 全く動かないような筋肉もありましたが ストレッチをして伸ばせるような位置ではなく 自力で改善することは不可能だったようです ほぐすだけではなく ほぐしてから 筋肉を動かして強くする必要があるそうです 今まで たくさんの整骨院やマッサージに 行きましたが やっぱりスポーツトレーナーが 私には一番合っていたなぁと思い 出逢いを頂けたことを本当に感謝しました スポーツトレーナーに診て貰いたい という思いはもう20年ぐらい前から 抱いていたので 時代が追い付いた という表現になるのだろうなぁと感じます 神様がなさることというのは このように 長期に渡ってのご計画であることがあります 20代の頃 1年だけ名古屋に仕事で行き ホームシックになりましたが 帰りたいと思った場所は渋谷でした 渋谷はよく通りはしたけど住んだことはなく なぜ渋谷なのだろうと思いましたが 私が洗礼を受けて所属する教会は今 渋谷区にあります 帰りたいと思った時 まだその場所は 出来ていなかったのです また その教会は 幼い頃や洗礼を受ける前に こんな場所を持ちたいとイメージした通りの 建物であることを 神様はビジョンで 何度も見せてくださいました ですが クリスチャンになってからは 私が見たことがない 聞いたことも イメージをしたこともないようなことを 預言として与えられることが多く 身体の癒しも その中の一つです 神様は 私が見ることが出来ない より高いビジョンをお持ちであり 私は それにとても期待をしています 何故なら 自分が見たものが その通りになるのは 実は 私にとってはあまり面白くないからです それは もしかすると生来持っていた 預言の賜物を敵に傷付けられてしまった 結果の感情であるかもしれません ですが 神様はそんな私の思いも よくご存知で そのままを愛してくださるので 私にはわからない 素晴らしいものを たくさん見せてくださるのです どの人も 神様があらかじめ備えてくださった 賜物を持っていますが その多くが この世の力により傷つけられており なかなか自分の道へと踏み込めずに いるのだろうと思います これも私の賜物の故の感情ですが そういった 傷付いた人を励まし 神様と歩むという素晴らしい道へと導きたい 以前であれば そのような役目をするとき 自分が置いて行かれるような思いがして とても嫌だったのですが 神様の守りの中にいるなら それは敵の嘘であることがわかります 神様に自分の賜物を委ねる時 神様が自分を通して働いてくださることが 自分自身を満たす命の糧となります 賜物を用いて 多くの人の励ましになりたい 最近 本当に深くそのように思います