ありのままとは好き勝手とは違う – DIARY WITH GOD
2016.08.11
今日は 疲労と労働量は全く無関係だと実感する1日でした…
そのことは クリスチャンになるまえは命の危険すら感じるほどの恐怖でした
でも今は 神様の約束があるので安心していることが出来ます
感度が良すぎると それだけで疲れるので困ります
以前は そのことがとても苦痛でした社会で生きていく支障になったから
でも 今は 自分の弱さに神様が栄光を現してくださるとわかっているので安心していることができます
わかりやすく言うと
以前は 疲れて労働力や生産力が落ちればただマイナスになるだけだったのが
弱いところを用いて頂けることでそこもプラスにして貰える
それは 精神論 気休めなどではなく本当にプラスにしていただけることが何よりの救いで恵みであるわけで
マザー・テレサの本の中に寝たきりの患者さんと看護婦さんがパートナーになり互いに支えあう というお話がありましたが
正にそういう感じ
弱いところを神様が補ってくださり人を通さないと出来ないことを神様のためにやる そういう神様とのパートナーシップがある
…と言っても
良いことも神様が用意してくださり恵みも神様から頂いていて
ただ一方的に全てを頂いているのですが
でも 肉を持つ私たちにしか出来ないことがあるんだよ と
私たちを用いることを決めてご自身のものとしてくださった
ただ そのままで愛されている
この者は私が買い取ったのだからと全ての存在から守ってくださる
役立たなければ居場所がないかのような追い立てる存在から救い出して守り 養ってもらえる
人の思い あるべき論でもって圧力をかけるような人が多い中で
ただ ありのままに居るだけでいいんだよ
神様は いつもその様に語られている
ありのまま というのは自由に好き勝手に という意味ではない
自分自身の本当の「ありのまま」を見失い 互いに裁きあっている人たちを解放することが 神様のご計画です
神様の造られた全ての存在が神様の手に戻り 真の自由の中に憩うことが出来ますように