神様だけに頼るための試練 – DIARY WITH GOD

2017.11.08

以前書いたかもしれませんが

人の霊的な背景というのは

知る知らないに関わらず

人の言葉に乗って影響を及ぼします

イエスさまは 悪魔の誘惑にも

人がイエスさまを持ち上げるような発言も

必ず否定されていましたが

敵の誘惑や人を神より高くする賛辞は

無言でいると 同意を意味してしまいます

また 悪霊を追い出した後に

空っぽのままにしておくと

以前よりもっと質の悪い悪霊を

7つも連れて戻ってくるという表現が

聖書の中にあります

更に この話も以前書きましたが

旧約聖書では 女性が暴行を受けたときに

助けを求め叫ばなければ同罪とみなされる

という表現もあることから

敵に対してNoを言うことというのは

霊的な世界において 物凄く

重要であることがよくわかります

聖書の中に

いつも喜んでいなさい

絶えず祈りなさい

と書かれていますが

これというのは 敵に付け入る隙を

与えないようにという意味もあると

感じることがありました

ちょっとおかしな雰囲気だな と思っても

お祈りをすることに加えて

神様に意識を向け感謝の賛美をすることで

その場の雰囲気を変えることすら出来ます

自分が聖霊に守られるだけではなく

聖霊が自分を通して自由に働いて貰えるように

自分を神様に明け渡すことが出来ます

しかし逆を言うなら

自分の思いや発言により

敵に付け入る隙を与えて

敵の通り管になることもあり得るわけです

自然なままの人というのは

何も考えずにいると

悪い方へと意識を向けがちな生き物です

それはある種の保身であるわけですが

保身ばかりで希望がなくなれば

人は生きていくことが出来ません

夢があり 希望があって目標が出来ますし

良いイメージを抱くことが出来るから

前に進むことが出来ます

起きる事柄に対してどのような

イメージを持ち どのように考えるか

そこを拗らせてしまうと

本当にしんどいわけですが

神様という存在を知った今は

どんな事があったとしても

神様による新しい方法を期待することが出来て

それは もしかしたらとてつもなく

チャレンジであることも多いのだけど

しかし不思議と平安の中に留まれるわけです

しかも そうやって神様だけに期待をして

飛び込んだ時に起こることは

本当に 時に叶って美しい

そこにもし試練があるとしたら

それはいつだって 神様との関係を

深めるためのものであると感じます

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