心を守る – DIARY WITH GOD
2016.09.29
心が口に出る
について 自分の中で なんか変な思い違いがあることに気付きました
言葉では良いことばかり言うのに行動 態度に下心が見え見えで
自分の思い通りにならないとわかるとあー あなたの本心ってそれだったのねー
と 思うような暴言を吐く人が
ものすごーい身近にいたのですしかも 社会的地位が高い人が多かった
で 幼い頃 良いことばかり言う人ってものすごーい信用出来ないな という変な思い込みを持ってしまった
しかし 社会に出ればそんな人ばかりではない ということも自然にわかってくる
(本当に良い人ってのはいる…天然とも言えるけどっ)
また 同じことを言うにしても言葉の選び方というのがあるということもわかってくる
どういうことかと言うと
丁寧な言葉で 適切な表現で暴言ではなく 苦言を言える人もきちんといるわけです
悪意もなければコントロールしてやろうみたいなお節介な意図もなく
ただ それって違うよね
そういう行動をすればこういう結果になるよ
ということをきちんと言える
感情的にならずに言えるということでしょうか
そこには 愛がある
というより 愛がなかったらそういう風には言えない
言う内容が問題なのではないということ
結局 心が出る ということなんだな
そんなことに気付く日になりました
逆も然り
どんなに言葉を取り繕っても心は出ちゃうものなんですね
ヤコブの手紙3章2-11節私たちはみな、多くの点で失敗をするものです。もし、ことばで失敗をしない人がいたら、その人は、からだ全体もりっぱに制御できる完全な人です。馬を御するために、くつわをその口にかけると、馬のからだ全体を引き回すことができます。また、船を見なさい。あのように大きな物が、強い風に押されているときでも、ごく小さなかじによって、かじを取る人の思いどおりの所へ持って行かれるのです。同様に、舌も小さな器官ですが、大きなことを言って誇るのです。ご覧なさい。あのように小さい火があのような大きい森を燃やします。舌は火であり、不義の世界です。舌は私たちの器官の一つですが、からだ全体を汚し、人生の車輪を焼き、そしてゲヘナの火によって焼かれます。どのような種類の獣も鳥も、はうものも海の生き物も、人類によって制せられるし、すでに制せられています。しかし、舌を制御することは、だれにもできません。それは少しもじっとしていない悪であり、死の毒に満ちています。私たちは、舌をもって、主であり父である方をほめたたえ、同じ舌をもって、神にかたどって造られた人をのろいます。賛美とのろいが同じ口から出て来るのです。私の兄弟たち。このようなことは、あってはなりません。泉が甘い水と苦い水を同じ穴からわき上がらせるというようなことがあるでしょうか。