示されたヒントにあるものを拾う – DIARY WITH GOD

2019.08.22

来月の準備の一貫で気になることがあり

調べたいと思い取り寄せた大量の古本が

昨日届いたので それらの本を読み始めました

ネットで調べようと思ったのですが

どうにも要領を得なかったのです

私たちは 神様から物語と絵を示されていますが

それをどういった手段でどこに向けて

発信していくかについては手探り状態です

先日 教会の姉妹から言われたことをヒントに

数ある手段の中からいくつかについて

調べたり 実際にネットで見たりしていますが

その中に ネットで調べても全く

わからないものがひとつあったのです

更に言うと本すらも どれを買えば

私が知りたいことが書いてあるのか

全くわからなかったので 引っ掛かりが

ありそうなタイトルの本は全て注文したので

(古本とは言え)5冊にもなってしまいました

どの本にも 私が知りたかったことの一部が

すこしずつ書いてある感じだったので

全部買って正解だったとは思いましたが

読み進めるうちに これはりゅうくんが

やりたいと言っていることを実現するのに

相応しいものなのではないかと感じました

先日神様にやんわりと それは違うと示されたのに

りゅうくんが止めることの出来なかった

ある技術の延長線上にあるものだったからです

その事をりゅうくんに伝えると

自分がやりたいことを実現する手段として

他の方法を考えていたらしいのですが

詳細に話を聞くと りゅうくんに

勘違いがあることに気付いたので

本に書いてある一節を用いて

あなたの望んでることはそっちではなく

こっちにあるよ と説明しました

表現したいことは一つであっても

それをどの様な形にするかについては

様々な選択肢があるので

今回取り寄せたものもそのうちの

ひとつに過ぎません

昔の自分であれば それらの技術のうちから

どれを学ぶかについて決める時は

その技術を用いてどんな仕事があるかだとか

技術の将来性や汎用性だとかを考えました

ですが 今回はそういったことも一切なく

神様がこっち と示される方向にありながら

自分たちの望みを実現しうるものを

選ぶ必要があります

技術を学ぶには時間がかかるので

あれもこれも と手を広げるのは難しいのですが

中には折角学んでも先々全く使えなくなったり

廃れていってしまうような技術もあります

ですが今回のものは とても広がりを感じたので

これで良いのではないかなぁと思いましたが

どうも 技術的なことについては(私たちについては)

これでいいですか!?と祈ったからといって

答えが得られるわけでもないみたいで

下手に これだと感じるからやります!

とか言ってしまうと何でもかんでも

応援されてしまうことを体験しています

しかし どんなに神様が応援してくださっても

様々な問題が起きて進まなくなってしまうことが

物凄く多かったので 神様は私たちが

やりたいと思うことは全てやらせてくださるけど

必ずしもそれが道であるとは限らない

ということを感じています

というより やりたい!と願ったことは

きちんとやり遂げることも出来るのだけど

そこに神様の栄光が現れたか?と言ったら

神様の愛はものすごーく現れたけど

栄光はどうなんだろう と思ってしまうのです

しかし先日姉妹から示された方向性は

出来れば避けたい そっちに行きたくないと

思っていたことですし そもそもで

今まで神様が明確に示された方向性というのは

自分だったら絶対に選択しないことばかりでした

自分的には有り得ないけど神様が言うならと

従って行く時には必ず 神様の栄光を体験します

私が欲しいのはそういうものであって

私がやりたいことに神様が愛を示して

くださるだけでは正直 物足りないのです

自分がやりたいことをやりたいわけではなく

神様の栄光を現すことをやりたい

だけど神様は 私が願うことに栄光を

現すよと言ってくださっている

今までは与えられるだけの恵みだったのが

今度は私と神様との共同作業のような

恵みになりつつあるということを感じますし

今の状況も間違えなく 神様との歩みの上に

構築されているものなのです

兎に角 自分としては肉の思いであれこれせず

自然体でやっていける感じのものがいいので

自分の頑張りではなく 神様との交流により

物事を進めていければいいなと思っています

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