神の義を慕う従順とそうではない従順
10月分のQTの啓示をまとめたので 印刷して読んでみたのですが これをやることが 私にとって どのような意味があるかを 実感することになりました 啓示を受けて書いている時は その日その時に神様が示したい 具体的な言葉がありますが それをまとめて読んだ時 私が感じたのは言葉の意味ではなく そこに流れる霊でした 啓示の全体を通して 神様が 仰有ろうとしていることが ただ1つであると感じたのです それは 預言をする者のための 建て上げでした 神の啓示 預言というのは 人が欲しい言葉であるとか 人が求めている言葉ではない ということを強く感じました 人を祝福することはある意味容易く 言う人も聞く人も心地好いですが 神様の預言というのは決して そのようなものではないということを 一貫して語られていると感じました 偽預言者に気を付けなさい と いうことだなとも感じました 実は最近 ある事柄に対して 違和感を感じていたのですが それに対する答えが明確に 示されていたように思いました 神様から出た言葉を掴みながら 耳障りの良い敵の言葉を口にするのは どういうことでしょう 心にあることが口から出るのです 忘れてはいけないと思うのですが 悪魔は神に対して従順でありながら 心は神から離れた存在です 悪魔は 人以上に神様に従順です というより 従順にすることしか 出来ない存在です イエスさまが出ていけと言ったら 懇願して豚に乗り移ったのは 神から悪魔に命令があったら必ずそれに 従わなければいけないからです イエスさまは パリサイ人たちに モーセの座が与えられていると はっきりと仰有いました だからパリサイ人の「言うこと」には 従わなければならない しかし行いを真似てはいけませんと イエスさまは教えておられます 神様は 心が悪いものであっても 一度与えた権威を取り上げません その上で パリサイ人に対してイエスさまは あなたたちは悪魔の子だと仰有った 父を見て父を真似るものだと指摘します 何が言いたいのかというと 人は 心が悪いままで悪魔のように 神に対して従順になることが出来る ということです 従順であることというのは 神の子としての担保になりません 従順なだけなら悪魔にでも出来るのです 更に言うなら律法や聖書を語ることも 悪魔には容易く イエスさまが 悪魔に試みを受けた時も悪魔は 聖書のみことばを用いたのです 神様を愛すること以上に 自分を愛したのが悪魔でした 神を賛美する自分に酔ったのが悪魔でした 心にあることが口から出るのです 本当に 心に気を付けなければ いけないな と思います