偶像からの解放 – DIARY WITH GOD
2016.10.12
ヨベルの年に入ってから毎日のように大きな変化が訪れていますが
今朝は 今までにない体験に加えて今まで全く気が付いていなかった私たちにある恵みについての知恵が与えられました
それは 矢張り愛に燃やされて生きるを読んだことで起きているのですが…
実はこの本を紹介されたのは1年以上前だったりします
読んでみたいと思いながら何故か手を出していなかったのです
でも 読んでみて 読むべき時が「今」である必要があったことを強く強く感じています
ヨベルの年と その前年の安息年とは全く違う世界を見せられています
安息年とヨベルの年というのはみ恵みだけで生きる期間であり
仕事は「してもしなくても良い」ではなく「してはいけない時」でした
仕事に関連するような知恵やみ恵みについては日々求めて祈り続けていたのに全く与えられなかった
ヨベルの年が終わり新しい季節に入った今
蓄積されていた祈りの答えが降り注いでいるように感じます
今朝 具体的に何が起きたかというと
物凄い寒気に驚いて飛び起き慌ててりゅうくんの布団に潜り込み落ち着いたときに知恵が与えられました
風邪でも引いたのか?と思いましたが
そういえば教会の姉妹が聖霊さまに満たされて悪霊が出て行ったとき震えるほどの寒さだった ということを言っていたのを思い出しました
私の中にいた何かが追い出されその結果 み恵みを悟る知恵に対して目が開かれたのだと思います
そのみ恵みがどんな内容であるかについては大変プライベートなことなので書きませんが
ただ 自分の罪の性質だと思い込んでいたことが実はそうではなく 賜物の故であったことがはっきりと理解できたのです
賜物の故に行動していたことを罪であるかのように思い込ませて神様との和解の邪魔をしていたものが今朝 出て行ったのだと感じました
そのことにより 私だけではなくりゅうくんに与えられた召しについても彼が納得いく形で説明できるようになった
また 彼が家族…離婚して13年も会っていなかった父親に愛を伝えた時にパニックが起きてしまった理由もわかった
そのパニックは 悔い改めのチャンスだった
しかしお父さんはクリスチャンではなく神様を全く知らないどころか偶像の中で苦しんでいる人だったので後悔と自責の念に押しつぶされてしまい
落ち着くまでしばらく会うことは出来ないという拒絶の形で終わってしまった
りゅうくんは ただ恵みを持っていきたい神様がお父さんのことをも愛していることをただ伝えたい
しかし 罪の中にいる人は愛に触れた時自分の罪の重さに押しつぶされてしまう
神様の愛と聖さと御心を聖書で知り聖霊なる神様が内に住んでくださっているクリスチャンだからこそ正しく悔い改めへと導いてもらえるのだ
もし 神様の臨在をお父さんのところに運んでいけたらどれだけ素晴らしいことだろう
もし悔い改めと開放が起きたらどれ程に素晴らしいことだろう
いや お父さんだけではない
先日ファミレスで隣に座っていた占いや呪いについて話していた高校生
ごくごく当たり前に話題として楽しんでいる偶像の呪いに縛られたたくさんの人たちの元に
宇宙を創造される程の力ある神がご自身の愛とみ恵みを受け取らせるために介入されたとしたら どれほど素晴らしいか
多くの人が そのことに目が開かれますように
神様の愛とみ恵みが欲しい と切に願ってくれますように
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