人には自由意志がある – DIARY WITH GOD
2016.09.15
今日の 神様の示しは
神様は 私たちの自由意思を尊重されていて
私たちが 神様とどのような関係になりたいのか その心をご覧になり賜物や召しをくださっている
と いうニュアンスでした
それは完成形ではなく過程であるような気もしますが
ともあれ
神様に期待して委ねることが出来るのはそれを望んだゆえであり
それを望む私のことを神様は可愛いと思ってくださっている
でも 可愛くしてくださったのは神様なんだよねー ということ
そして 逆も然り
神様にとって可愛くない人は自ら望んで可愛いげを捨てている
QT箇所が 奇跡を見ても悔い改めない街をイエスさまがののしられてから
神様を求める弱いものだけが神様に召されることはみこころだと仰られたところでした
自分は強い と思っている人や◯◯(ヒトモノカネ結婚等々)さえあれば私の問題は解決すると思っている人は
神様が与えようとする恵みが自分の望むものでなかった時に神様を悪く言い出したりします
神様は絶対的に良い方で神様がなさることは自分の考えより遥かに良く
神様がなさることを人が理解出来るわけはないけど絶対に益となることしかない と
どんな素晴らしい結果が来るのかわからなかったとしても期待して神様を褒め称えること
それを「信仰」と言うわけですけど
何故 神様に期待をするのかと言えば
人は 間違える勿論自分も間違える
でも神様は間違えない
と いうより
この世の全てを創造し所有している方の方針が全てを決定するわけだから間違えるもなにもない
ただその一点だけ だと思うわけですが
自分は強い と思っている人や◯◯さえあれば私の問題は解決すると思っているがゆえに
自分の思い通りにしてくれない神様を悪く言う人というのは
自分は神様より優れている と言っているわけで
それは 聖書の表現を用いるなら陶器が 陶器師に向かって指図をするようなものであるわけです
それでも 神様は忍耐強く寛大な方で
イエスさまと父なる神に対しては悪く言っても 悔い改めれば許される
と 仰ってくださるわけですが
それは 神様が自らの手で地の塵に過ぎない私たちに命を吹き入れられ
我が子のように育てられることをご計画されたから なんですよね
神様は 人の支配者になりたいのではない
その証拠に 全て良いことだけをさせてくださいと祈ったとしても良いことだけを機械的にさせてくださるわけじゃない
その故に アダムとエバは罪を犯すことになったわけですけど
良いことだけを出来るようにしてください と祈れば
何が良いことで 何が悪いことかを自分で判断出来るように教えてくださる けど
祈る内容 心についても判断して行動することについても
自由 を与えてくださっていて
その自由をどう使うかは正に その人の自由 なのです
と言っても
神様には神様のご計画がありますから
そのご計画をお持ちの神様とどういう関係になりたいか
という話になってきます
そんなことを考える自由も神様はくださってるのですよねー