仕事と作業と神様の愛 – DIARY WITH GOD

2016.10.08

今回 このブログを構築していて感じたことは 作業と仕事は違う でした

ところで クリスチャンの中には収入を得ることについて葛藤がある人が多いらしいのですが

しかし全ての所有者である神様は物理的にも祝福してくださる神で

ルカの福音書には 不正の金で友を作れという表現までされているのです

神様が仰る「恵み」と「仕事」について

以前 神様はこのような形で私に 仕事と恵みについて示されました

収入を得るための いわゆる仕事のことは「恵み」だと示されて

神様のためにやることは収入の有無に関わらず「仕事」だと仰有ったのです

そして納入先や労働を支払った先からはお金が支払われなかったとしても必ずそれに見合うか それ以上の恵みと祝福が注がれたので生活はむしろ豊かになりました

一時期 体調を崩して収入を得ることが出来なかった時に

献金をする余裕はないので労働で払わせてください

とお願いをして奉仕をしていましたがこの時も 変わらず(むしろ豊かに)恵みを注いでくださいました

でも 必要がぴったり頂ける感じで貯蓄をしたり増やしたりは出来ない

なので いつかはこの状況から抜け出さないとなぁと思っていました

…と いう話を前提に

ちょっと お金を稼ぐことについて思ったことを書きます

マス(大衆)向けと少数のお客様向けのサービス

滅茶苦茶この世のお話ですけども

今日はまったりしたかったのでサイゼリヤに来ています

食事と聖書と作業が目的ですが

ふと こんなことを思った

飲食業ってほんと割に合わないなぁ

場所代があり 食材や食器の仕入れがあり作るのと運ぶのと片付けるのに人件費と光熱費などなどがある

でも値段を見るときに家で食べるコストと比較をする人が圧倒的に多い

それは制作の仕事にも言える先日見た記事なのだけど

イラストレーターさんがクライアントに 描くところを見たいと言われて描いて見せたら

そんな短時間で描けるならもっと安くていいですよね

と 言われて

そんな短時間で済むものだったらご自分で描かれるといい と言ったら

描けるようになるまでどれぐらい時間がかかると思っているんですか!?

と 自ら答えを言ったらしい

ピカソの有名な逸話で

絵を描いて欲しいと近寄ってきた人にさらっと絵を描いて 100万円です

と言ったら こんな短時間で描いたのに!?と 言われたのだけど

私の今までの30年分の値段ですと 返したという

とは言え 世に1点だけの唯一の商品と多くの人が日常的に必要となる商品では考え方が異なってくるのも当然のことです

社会貢献にも力を入れているブラック企業として有名な某飲食チェーンの社長は

新メニュー会議の席でステーキ丼の企画に対してこのようにダメ出しをした

仕入れがいくらだからこのぐらいの値段 という決め方ではダメなんだよ

このステーキ丼 いくらだったらお客さんが喜んで注文すると思う?

君の決めた値段でお客さん喜ぶ?普通だろ?普通の値段だろ?

そうじゃない この質で量でこの値段!?とびっくりして喜んで頼む値段で設定して

その値段を実現するためにはどうすればいいのかを考えるんだ

そのために 自社農場を持って肉のコストを下げるとかそういう風に考えるんだよ

…これもまた ひとつの戦略でありマス(大多数)をターゲットにする大企業なら必要な感覚です

今 ここに来るまでの間に西友の新装開店を案内するのぼりがあったのですけど

そこに 店長の写真が使われていてコスト削減頑張るなぁ と言ったら

え? これで削減になるの?とりゅうくんが言うので

タレント雇うより安いでしょ?と言ったら納得していた

けど 更にその近くのパチンコ屋では(多分)無名のアイドルが宣伝部に就任!とか書いてあったりして

仕事選べよとか思いますが(苦笑

しかし ゲーム業界で今 一番お金が動いているのはパチンコ業界だったりするのも事実であるわけです

ネットでの集客・広告の変化(時代の流れ)

私はネットによる広報広告の業界に20年近く身を置いています

サイトを作ってと頼まれたけど周囲のフリーランサーがみんなしていくらで受注すればいいかわからん!と困惑してるような時代でした

そこから ネット集客はすごいらしい とどんどん人や企業が入ってきて働き方や値段の付け方も変わり

リーマンショックの時に大手広告代理店が本気でネットマーケティングに参入したことから

業界の再編と言っても良いほどの大きな変化がありました

そんな中で 同じ方向を目指していたはずの人達が 世に翻弄されて

綺麗事を言っていただけなんだなーという人はどんどん離れていき長いものに巻かれていきました

私はそんな中で

本当に実力があり 長年に渡り良いものを提供して 価格は下げない

独自の価値を作り続けている人とだけお付きあいをすることとなり

影ながら ものすごく貴重な体験をたくさんやらせていただいた

実際 価値を下げないための努力というのは地道で地味で 日の目を見ることもなく誠実さや愛などの 良いものがぎっしり詰まっているわけです

それ故に その世界にいる人達は目先の華やかさだけを求めて集まる人達とは一線を区切り交わりたくないという排他的な態度を取るのも確かで

私は その排他的なところがあまり好きではなかった のだけど

聖書を読めば読むほど聖別の大切さを思い知らされ

妥協させることが敵の策略であり

与えることはするべきだが共に歩いてはいけない

と いうことを思い知らされる

誰と共に歩くか

それが全てを決めると言っても良い

のだけど 要するに

共に歩きたければ引き上げればよくて排除する必要はない

共に歩けない人は自然に離れていくけどそのことに いちいち目くじらを立てる必要もない

ということなんだなぁと思いました

(目くじらを立てる人達も共に歩く相手じゃないってことね)

「作業」と「(仕事としての)運営」

ともあれ

私の居場所は 今までもこれからも恐らく変わらないのだろうと思います

私に マス系の考え方であれこれアドバイスをする人には

私は ひとりひとりの顔が見えるニッチビジネスが好きなんで

と 一蹴してきちゃいましたが

引き上げる ということも視野に入れるべきなんでしょうね

それで 煙たがれればそれはそれであるわけですから

…本題はここからなんですがw

今回 久々に本気出してブログ構築作業をして

…流し込み=単純作業でしかないので敢えて作業と書きましたが

でも ブログを「運営」するのであれば作業にしちゃダメだよなぁ

と 思いました

神様から あなたはもう作業者でいてはいけないと示されているのですが

本当に 作業者ではいけない

これを読む人が 神様に触れられてひとりでも多くの人が恵まれて

本当の神様のお姿を知るお手伝いが出来て神様の栄光が現れる

作業をする という感覚ではなく神様の仕事をさせて頂いている

という感覚でやらないとダメだよなぁ

と 深く思いました

神様の仕事をさせて頂いているそう思ったら それだけで喜びが溢れるもの

会社を立ち上げたとき「お金のために妥協するべき」

と 言う人が寄ってきてたちまちのうちに壊されてしまったもの

それを 神様は こういう形で取り返させてくださっているのだな

と 思いました

感謝します❤

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