クリスチャンが学ぶこと – DIARY WITH GOD
2019.11.01
昨日見た小さなひつじのビジョンの
補足ですが りゅうくんの物語から
ひつじというのはその人の良心であり
この世においては泥に固められて
自由を失っている存在として書かれており
イエスさまの出現により その泥が
洗い流されて自由になる存在です
りゅうくんは 神様とのチューニングが
合っていなかっただけではなく
自分自身の良心であるひつじと
チューニングが合っていない
ということに後になり気付きましたが
実は昨夜 りゅうくんが私の手を
神様の武器(絵を描く手)として
祝福してくれたので
(りゅうくんは 神様が言葉を用いると
示されているので)私はりゅうくんの
口を神様の武器として祝福しました
そのためか りゅうくんが神様と
チューニングが合っていないと
伝えたときに りゅうくんは今までのような
言い訳をすることなく悔い改めてくれて
早速 QTのシェアをしてくれました
そこで 神様は私たちの関係を
互いに引っ張り上げて建て上げる
同士であると示してくださいました
また 私にはQTを通して
神様を知ったパウロはそれにより
富や名声を手に入れたとかではなく
私は羊を満たすためにいる
ご利益主義的な神ではなく
羊を養い育てる羊飼いなのだ
ということを強く示されました
勿論 聖書には神の義に歩けば
必要は全て満たされると書いてあります
しかし イエスさまがパンを増やす奇跡で
満たされた人たちが集まった時に
あなたたちはお腹がいっぱいになったから
私についてきているだけだと仰ったように
恵みを見て神様についていくかどうかを
決める人たちというのが最近の私の
疲れの原因であることを思い
神様が そっちではなく信仰に生きる
人たちの方を見るように示していると
とても強く感じました
啓示の全文は以下の通りです
パウロはわたしの啓示を受けて何か富を得たとか
そういうことではありませんでしたよね?
こうすれば良い生き方が出来るからであるとか
こうすれば救われるとかいうこととは
一切関係ないところで ただ御国の者としての
相応しい生き方を教えはしましたが
それはこの世からは嫉妬されるようなものでした
わたしは 父がわたしのために
創られた人を育てる羊飼いです
わたしのために創られたのではない
人を養いませんし また羊には
自分の子以外の世話を見させません
本来背負うものではない重荷を背負わされて
倒れそうになっている羊を救い出し
その重荷をわたしが代わりに持ちます
その羊に対して 荷物がなくなったからといって
また余計な荷物を載せようとするものに
ついていってしまわないように
教える必要はあります
また 本来背負うべき荷物を嫌がらずに
背負えるように助ける必要もあります
羊飼いの仕事は羊を幸せにすることが
仕事でしょうか?違います
養うこと そして導くことが仕事なのです
幸せというのは 愛により養われた者が
感じるものであり 愛により患難すらも
共に忍びあえるのです
クリスチャンとして同胞に対して
教えるべきことが何であるかが
ここには明確に示されており
これを読んだ時に 私たちは
洗礼を受けた時に御国の学校に入学し
御国の住人としての在り方を
教わる必要があると思いましたし
学びというのはその様なもので
あるべきだと強く思いました
新しい職場で 近く母教会で
セミナーがあることを同僚に伝えると
クリスチャンって何を学ぶの?と言うので
例えば離婚で傷付いた人の子どもが
親と同じように結婚問題で傷付くという
負の連鎖を断ち切るための学びとか
という例え話をすると
それドンピシャで自分のことだと
離婚での傷に苛まれていることを
告白されてちょっと驚きましたが
神様は本当にいつでもどこでも
ご自身を現そうとされる人の元に
遣わされるんだなぁと思いました
まだその人に具体的に何を伝えるかは
示されていないのですが 神様が近く
彼のために伝えるべきことを
示してくださることに期待をします