見ないものを熱心に求める – DIARY WITH GOD

2016.11.15

昨日の記事(弱さを明け渡す)について

神様が答えをくださいました

私が唯一悩んでしまう

弱い人の思わぬ攻撃を避けきれず

疲弊してしまう人がいること

そういう状況において 自分自身は

「避ける」という選択しかしてこなかったので

疲弊している人に対して どのように

アドバイスをするべきかも思いつかない

祈れば良いのに祈ることすら出来ず

悩んでしまっていた というものですが

昨夜記事を書き終えて床に就いた時

神様は 一つの聖句をくださいました

ローマ人への手紙8章26節

御霊も同じようにして、弱い私たちを助けてくださいます。

私たちは、どのように祈ったらよいかわからないのですが、

御霊ご自身が、言いようもない深いうめきによって、

私たちのためにとりなしてくださいます。

見えないものを望む

聖霊のうめき というのは

異言でもって表されます

異言についてはいずれ詳細を書きますが

使徒の働き2章にある 聖霊のバプテスマにより

聖霊が「異なる舌」で語ってくださる祈りです

ちなみに上述の聖句の直前には

このようなみ言葉があります

ローマ人への手紙8章24b-25節

目に見える望みは、望みではありません。

だれでも目で見ていることを、どうしてさらに望むでしょう。もしまだ見ていないものを望んでいるのなら、

私たちは、忍耐をもって熱心に待ちます。

どうすれば良いかわからないことこそ

私たちは望みを持って熱心に祈るのだ

と いうことです

人の考えであれこれ思い巡らして

解決が見つからない事柄こそが祈るべきもので

もっともっと熱心にそれを

追い求めて祈るよう示されたと感じました

神様が下さった解決策

そして思ったのですが

弱い人の気持ちがわかる と書きましたが

私はあまりにも感情移入し過ぎなのだと思いました

当事者であるかのように錯覚すれば

祈るよりも先に逃げや防御という

自分のやり方に頼ってしまう

とは言え それは神様が用いられようとする

「自分の弱さ」であるので仕方がないとして(苦笑

感情の面で 一歩引くということが

自分にとっては一つの課題でありますが

何より 熱心に求め続けることが大切で

もしどう祈ればいいのかわからなければ

異言で祈れば良いのだということ

その示しの通りに昨夜は

異言で祈ってから眠りました

そして今日 その祈りの答えを頂けたのです

見えないものを望む

ある意味 私が感情移入し過ぎることと

根っこが同じであるようにも感じましたが

弱い人の攻撃を全て受けてしまう人は

その人自身が 自分の弱さを

肉的な努力でカバーしようとする癖がある

ということをひょんな形で見せられたのでした

加害者と被害者のように見えますが

それは立場的な 人間関係の構造の問題であり

実は この2人は似た者同士だったのです

しかし 似ているからと言って

分かり合えるのではありません

自分自身の欠点を認めているので

相手の欠点も認めている

そのため 改善という方向に行くことなく

間違えた歯車を一緒に回してしまっている

と いうことです

これは 祈るしかない^^;;;;;

と あらためて気付かされました

恐らくは 祈りでしか解決出来ないように

この状況が出来ているようにも思いますが…

なので今後もこの件については

祈っていくことにしましたが

それと別に

今日は 私とりゅうくんの会話の中にも

一つ大きなブレイクスルーがあったのです

見えないものを望む

生ける神という記事の中で

りゅうくんが 聖書をノウハウ本のように

受け止めていて それは違うと話した

という出来事がありましたが 実はこの後

りゅうくんが自分自身で神様に

聖書とはどういうものであるかの

啓示を受けるという体験をしました

この体験は彼にとってとても大きなもので

この日以来 神様への愛 神様への思いが深まり

神様が愛しくて仕方がないという思い

慕い求めるという思いが溢れるようになったそうです

今まで彼は 主よ!と祈っていたのですが

この日を境に 親しみを込めて

お父さんー!と呼ぶようになり

神様に頼り 甘えるということを

ちょっとずつ理解出来るようになりました

ですが 窮地に立つとどうしても

今までの癖で 神様と違う方を見てしまう

一度神様との関係を体験しているし

そもそも りゅうくんは結構な回数

奇跡としか言えない事柄を体験している

なので 感覚としてわかりそうなものなのにー

と 思っていたのですが

奇跡を体験した当時 本人は

神様の愛をわかっていなかったのです

だから 当事者意識がないままに

流されるように奇跡を体験していた

ということに気が付きました

そもそもで

人というのは ボーっとしていると

悪いものに目が行く生き物です

ボーっとしていても神様は

奇跡を起こしてくださいますが

しかし 目は悪いものへ行きます

良いものを見続けるには

強い意志と決断が必要です

今 神様が彼に求められていることは

流される生き方から

自分で選択する生き方にシフトする

「目を覚ます」ということだったのです

熱心に求め続けなければいけないのです

祈りが聞かれるまで 忍耐がいるのです

神様のみ恵みは ただ待っているだけでは来ない

熱心に求めなければいけないのです

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