健全な教会成長を願う – DIARY WITH GOD
2018.09.23
今日は 金曜日に続いて
マーク・タブス牧師が
礼拝メッセージをしてくださいました
教会を建て上げてる方法として
一人ひとりが神様に与えられている
召しに立って生きるように
整えるというテーマのお話です
マークさんの目的は
神様があらかじめ一人ひとりに
与えられた召し イメージを
自覚して 同じ賜物を持つ
リーダーのカバーリングの元で
訓練(経験)を積むことにより
成熟させていくことです
そしてその時に使うツールが
使徒 預言者 伝道者 牧師 教師
という 五役者(ごえきしゃ)と
呼ばれるものです
マークさんは これより効果的な
ツールが見つかれば乗り換えると
仰有っていますが 要するに
これらのツールが大事なのではなく
人々が自分の本来の賜物を見出だし
伸び伸びと成長することが大切なのです
どこに向かって成長するのか
それは イエスさまの身丈にまでです
この五役者というのは
聖霊の賜物とは違い
その人にしか出来ない事であり
神様は 目的を持って
その様に創られました
なので その人が自分の
召しに気付いてそれを
活かし始めることはとても大切です
その人が自分の召しを知って
働き始めなければ 神様が
その人を通してご計画された
愛が地に流れないからです
しかしだからこそ
攻撃が強くあるところでもあり
それは その人が胎内にいる時から
攻撃があることも多いそうです
これは今回の礼拝メッセージではなく
マークさんの著書にあったのですが
その故に 胎の守りの祈りを
彼は大切にしているそうです
ともあれ 神様は私たちを
目的もって胎に宿る前から
定められているものがある
それを知り その賜物を持つ人の
強みと弱味を知ることは
成長のためにとても大切です
牧師の賜物を持つ人は
人の話を聞き励ますけれど
感情移入し過ぎてしまったり
頼まれると断れずに背負いすぎる
教師の賜物を持つ人は
人に真理を教え導くことが上手だけど
真理に生きることを重視し
時に人を裁いてしまう
伝道の賜物を持つ人は
罪人への思いや重荷が強くあるけど
教会の外に思いがあるので
教会での牧会や教えを軽視しがち
預言者は御国や啓示を
人々に伝える役目を担うけど
目に見える現実的なものを軽視しがち
使徒は神様の設計図を受け取り
全体像を掴み人々を
整列させる賜物があるけど
時に支配的になってしまう
というようなものです
聖書には 使徒と預言者を
土台にして教会を建て上げる
ということが書かれています
それは 神様が与えてくださる
設計図や本来の賜物を建て上げて
神様の啓示により教会を
建て上げていくことを意味します
ところが長い間 教会は
牧師と教師と伝道者だけで
運営され 使徒と預言者は
疑われてきたそうです
理由は 偽使徒と偽預言者が
教会を傷付けたからだとか
使徒や預言者の悪い面
支配的になったり
現実を軽視する傾向が
悪い結果を出したからだと
マークさんは話しています
というかこれは マークさんに限らず
五役者について語る多くの人が
そのように話しています
私は 古い教会を知りませんし
そこでどんな混乱があったのかも
知りませんが 使徒や預言者という
働きを認めない 受け入れない
教会が多いだろうことは
なんとなくわかってきました
実際 預言者を自称して
預言の訓練において
こういうことはしてはいけない
と言われていることを
やっている人を見て
こういう人が預言者を
自称すれば疑われるのは
仕方ないなと思ったことはあるので
使徒についても恐らく
同じであろうと思います
しかし 聖書にはそれらを
土台に教会を建て上げるように
書かれているわけですから
それを認めないということは
聖書を認めていないことになります
実際 本当は牧師の賜物がない人が
牧師になって上手く立ち回れず
聖徒たちも傷付いてしまうという
ケースは多くあるそうですし
霊的な賜物を持つ人が
教会で傷付くことで
神様のみこころが流れないことは
損失しかなく 誰の益にもなりません
偽物に振り回されることなく
(或いは偽物をきちんと見分けて
それを制する知恵を持ち)
その賜物を持つ人を健全に
建て上げていく覚悟というのが
必要なのだろうと思います
聖徒を整え成長することで
教会が大きく成長することは
神様のみこころだと思います
多くの人が 聖書の真理に
心を開くことが出来るように
なることを祈ります❤️