甘えに対するブロックを壊す – DIARY WITH GOD

2019.10.23

今日は 起きると今まで感じたことのない

腕の痛みを感じたので 何だろう?と思いつつ

天気がとても良かったのでりゅうくんに

お布団を干すことをお勧めしてから

会社に向かいました

腕の痛みに心当たりがあるとすれば

昨日から感じている悲しさだろうな

と思ったので 神様に委ねる祈りをしていると

かなり癒された感じがしました

また 今動いている案件で一番重たい

仕事についてのミーティングの中で

社長さんが 私が入ったことで

物事が加速しているということと

良いチームとしてやっていけるという

手応えを持っているということを

言ってくださいました

チームでやる経験が殆んどなかったので

若干不安でしたが 自分が出来ることを

きちんと当たり前にこなすことにより

一員となれているのか と思いました

今まで その様にして人とチームを組むのを

邪魔していたものがあり それがひとつずつ

潰されていっていることを感じます

そのうちのひとつは 人を頼りにするという

部分にある間違えた思いで

それが この悲しみと関係していると

感じていたのですが

悲しみの根について思い巡らすと

5歳で母方の祖母が亡くなった時に

もう甘えさせてくれる人はこの世から

いなくなった と思ったことを思い出しました

しかし当時を振り替えると うちの両親は

私が3歳になるぐらいまで父方の家に

同居していたので 母方の祖母とは

逢う機会すらも殆んどなかったはずなのです

母に聞いてみると 妹が生まれるときに

2ヶ月程 母方の祖父母の家に預けた以外に

確かに逢う機会もほぼなかったと言います

ということは 私は1歳7~8ヶ月の時の

2ヶ月間しか 人生のうちで

人に完全に甘えて頼りきるという

経験がなかったということになります

それ以外の大人に対しては

甘えさせてくれないどころか

こちらに頼って来るので

なんで子どもの私が頼られなければ

いけないのだといつも

怒っていた記憶しかありません

私が良いときは可愛がるのに

私が苦しいときや辛いときには

頼らせてくれなかったのに

自分が辛いときは私に被せてくるので

その怒りは相当なものでしたが

今思うとその裏には嘘つきの霊が

存在していたことがわかります

そしてその嘘つきの霊というのは

祖母が亡くなった時に

もう頼れる人はいないという

敵の嘘に私が同意してしまった為に

私に付きまとっているものだとわかりました

また 頼りにならない大人たちから

妹を守らなくては と思っていたので

本来 私がやるべきではないことで

自分の甘えたい欲求を置き換えて

しまっていたんだろうなぁと思いました

なので 母方の祖母が亡くなった時に

もう頼れる人はこの世にいないという

敵の嘘を掴んでしまったことを

悔い改めて手放す祈りをしました

また そこに出来てしまった敵との

契約を打ち砕く祈りをしました

それから 甘えさせてくれずに

私を頼りにした大人たちへの怒りを

赦して手放す祈りをしました

また 本来背負うべきではない

妹のことを背負ってしまっていたことを

悔い改め 手放す祈りをしました

父と母と祖父については 以前に

色々と赦したり手放したりする

祈りをしましたが 祖母と妹については

祈ったことがありませんでしたが

「甘える」「人を頼る」ということについて

ブロックになっていたものは

これだったのだな と思いました

この手放す祈りをしてから

神様に寄り掛かるように頼る という

感覚が増してくることを感じました

もっと神様に頼りたい

もっと神様に近付きたいと

祈ってはいましたが

やっぱりそれをブロックするものは

自分の内にあるんだよな と思いましたし

求める祈りに答えてくださる

神様に 本当に感謝をすると共に

(今までもたくさん甘えていましたが)

もっともっとパパなる神様に

今まで以上に甘えて頼りたいと思いました

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