神様の目から見た捧げ物 – DIARY WITH GOD

2018.01.19

昨日は疲れていたので

何もせずに寝てしまい

早起きをして片付けるつもりが

りゅうくんが夜のうちに

台所を片付けておいてくれたので

朝は 久々に余裕があり

聖書を読むことが出来ました

聖書は ただ読むだけなら

過去の記録を追うだけになりますが

その聖句から 今神様が

何を語りたいと思われているのか

というレーマの言葉を受け取ること

今 生きておられる神様と

交流をすることにこそ意味があります

今日は 神様に捧げる捧げ物について

細かく書かれていた箇所だったのですが

神様は 当然ながら物質的なものを

必要とされる方ではありません

なのに何故 捧げ物をするように

示されたのかと言えば

それは 和解のためであり

神様のなだめのためと書かれています

当時の人たちにとって

牛や羊はとても貴重な食物です

罪の赦しを請うために

もっとも貴重なものを支払い

誠意を示すことを神様は

求められたと示されました

そのとき 私は捧げられてないなぁ

と一瞬思ったのですが

神様はすぐに あなたはあなた自身の

全てを捧げてくれている

と示してくださいました

神様の栄光を現す器として

用いてください と

切に願うこと それこそを

神様が喜んで下さっていると

教えてくれたのです

そしてりゅうくんも

読んだ聖書箇所は違いましたが

同じように 捧げ物というのは

人の目や思いにより計るのではなく

神様の目により計るものだと

示されていました

神様の愛する子のために

何かをするなら それも神様に

捧げたことになる

そのことを示されたように感じました

マタイの福音書25章40節

すると、王は彼らに答えて言います。

『まことに、あなたがたに告げます。

あなたがたが、これらのわたしの兄弟たち、

しかも最も小さい者たちのひとりにしたのは、

わたしにしたのです。』

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